Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

天才少年が挫折を経験し、起業

子どもの頃から
伝記ものや歴史物が
好きで教科書を1度読んだら
100点とれるような子どもだった。

子ども時代の環境もよくて、
野球やドッジボールの大会で
優勝するようなスポーツ万能な子どもたちで
溢れていた。

自分は身体が小さかったが、
水泳は学校一、かけっこも一番。

当時から需要と供給も察知していて
商売も始める。

子どもはクワガタは好きだけど、
クワガタ取りは好きではない
ということに気づいて、
クワガタをたくさん採れるところを発見し、
捕獲、販売。

全校生徒に販売するほどだった。

決して裕福な家庭ではなかったが、
お小遣い欲しさに、
野球でヒット売ったら
お金もらえるオファーをお父さんに。

小学校の生涯年俸は8万円。

ドラクエもレベル99にまで上げる追求型。

間のない極端な性格だったという。

多芸多才で何でもできる。

けど、それが中学生のときに
仇となる。

壁にぶつかったらやめる癖がついた。

最初からある程度できるから
愚直にやらない。

天才型なので努力をしなくなった。

それでも当時から勝つ事が好きだった。

勉強も学校で一番は当たり前で、
県で一番にもなるほどに。

文武両道の天才だったので、
まわりのみんなも親もバカにしていた。

勉強せずにトップだったので、
勘違いするのには十分だったと
当時を振り返る。

オレに利用されるためだけに
こいつらはいるんだと思うほど。

それでも未だに後悔するほどのことも。

未だに年に1回か2回夢をみるほど
悔しい野球のエピソードがある。

野球しながらバイトをやったり、
バンドもやったりもしていた。

卒業後はプロのスケーターを目指したりもしたが、
地元で一番流行っている飲み屋に就職。

同時に個人代理店も展開。

悪い工務店に騙されて
お金が足りず親に泣き付き
年利8%の消費者金融に
借りてもらう。

こうして、
23歳で借金をしてお店を出すことになった。

運のいいことに初月から流行って大ヒット。

1〜2年まともに眠れないほどだった。

2時まで仕事して、車で仮眠をとって
朝6時から接待ゴルフ。

月収は300万円ほどになったが、
幸せは全く感じず、すぐにやめたかった。

お店は信頼できる知人に譲り、
そのあとはふわふわかき氷や
タピオカミルクティーなどを
高知で始める。

そこからインフォ業界にも進出し、
ジェイエイブラハムの代理店なども。

収入も多かったが、借金返済もあったので、
27〜28まで自分の取り分は
ずっとゼロだった。

そこから人脈を駆使して、
1000万円を借り入れていく。

今では第一線で活躍する
マーケッター。

起業し、実業からインフォ業まで手がける
実力者までになったワイルドサイドストーリーを
明日公開する。

インタビュー動画をお楽しみに。

島田晋輔



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