From:島田晋輔
今年も残り3週間ほどですね。
今年はよく映画館に行ったな
と個人的な振り返りでしょうか。
城ドラを引退したので、
他でエンタメ補給していたのかもしれません。
30〜40本くらいは
映画館で鑑賞したと思います。
ご一緒する人たちが
観たいものあったらそれを選びますが、
観たいものを観に行くというより
タイミングあったものを観るという
スタイルが多かったと思います。
ふらっと寄って、今これやってるから
これを観るかみたいな。
食べログなどと同じく
映画レビューなどは全く見ていません。
見ず知らずの人の評価って
当てにならないですからね。
信頼できる人のオススメなら
耳を傾けるのですが。
前情報も期待もなく観に行ったものでも
けっこう学びや気づきも多いもので、今回は
「人魚が眠る家」と「旅猫リポート」を
取り上げたいと思います。
(どちらも子供たちと観に行った映画です)
さらに、ジャンプ+で連載中の漫画
「ROUTE END」を掛け合わせます。
この漫画がすごい!オトコ編の3位に入賞した
「彼方のアストラ」や荒木飛呂彦のアシスタント経歴もある
田中靖規の「サマータイムレンダ」など
ジャンプ+はなかなか良作が多いですね。
何かひとつからインプットするのもいいですが、
同時多発的に吸収し、ネットワーキングすることで
知見がより深まると思います。
同時っていうのがひとつの学習法のポイントですね。
ネタバレもあると思いますので、
もし映画を観に行く&漫画を読む予定がある場合は
この先をお気をつけて。
さて、この3つを抽象化して
僕なりにキーワードを
抜き出すとすると、、、
生死
善悪
社会
尊厳
家族
あたりでしょうか。
ひとつのメッセージ、ひとつのシーンで
ハッとしたというよりは
いろんなことが複合的に重なって
感情がグワングワンと揺れました。
それと、いろんなことを
考えさせられましたね。
まずは前提の共有から。
「人魚が眠る家」のイントロダクション
解説を引用しましょう。
人気作家・東野圭吾の同名ベストセラーを映画化し、篠原涼子と西島秀俊が夫婦役で映画初共演を果たしたヒューマンミステリー。「明日の記憶」の堤幸彦監督がメガホンをとり、愛する娘の悲劇に直面し、究極の選択を迫られた両親の苦悩を描き出す。2人の子どもを持つ播磨薫子と夫・和昌は現在別居中で、娘の小学校受験が終わったら離婚することになっていた。そんなある日、娘の瑞穂がプールで溺れ、意識不明の状態に陥ってしまう。回復の見込みがないと診断され、深く眠り続ける娘を前に、薫子と和昌はある決断を下すが、そのことが次第に運命の歯車を狂わせていく。
こちらが扱っているテーマは「脳死」。
子供の脳死ですね。
ちょうど木坂さんの帝王学の講座でも
脳死を考えるワークを行いました。
何を持って死とするのか。
他の国の多くでは脳死は死と判断させられるが
日本では臓器提供をしない場合は
心臓死にならない限り死と判断されない。
「臓器提供しますか?」
と聞かれ悩む夫婦。
四つ葉のクローバーを見つけても
幸せなものだから他の人のために
残しておくという優しい子ですから、
きっと本人は臓器提供を望むだろうと
一度は臓器提供を決断するのですが、、、
間際になって、指がピクッと動いて
この子は死んでない!
と在宅介護を選択。
まあ、生きていると思うのも
自然でしょうし、まだ生きたいっていう
メッセージにも感じとってしまうのも
無理ないですよね。
そこからテクノロジーを使って
運動機能を高めていきます。
人工神経機能接続技術でしょうか、
電気信号を使って脊髄反射を応用して
身体を動かしたり、口角を上げて笑わせてみたり。
脳は死んでいる状態でも
身体は生きている状態だから
理論上は可能なんでしょうね。
ただ、この辺り
人間の域を超えている
という問いかけもあり、
考えさせられました。
介護職員として働いていた時、
経口摂取できない利用者さんに
胃ろうの人を介護していて
同じように考えたことがあるからです。
臓器提供の話も深く考えさせられました。
単純に他の人の命が助かる
というものではなくて、
自分とは「どこ」なのか
という問いも孕んでいました。
臓器移植先の人が
提供元の趣味嗜好や癖を引き継ぐケースなども
いくつかあるようですが、
一体、自分自身はどこにあるのでしょう?
脳は死んでも心臓は生きていて、
その心臓が移植先で今も動いているなら
何を持って死とするのか、です。
ジョジョでジョナサンの身体を乗っ取った
ディオは生きるわけですが、
首から上はディオ、首から下がジョナサンという場合、
どちらなんですかね?
ちょうどアニメ放映中のジョジョ5部の主人公
ジョルノジョバーナはディオの息子な訳ですが、
脳はディオでも身体はジョナサンですから、
ブランドー家の血統にあるのか、
ジョースター家の血統にあるのか
興味深いところです。
ジョジョリオンの主人公の東方定助は、
吉良吉影と空条仗世文の融合ですが、
誰なんだ?という問いは作品の問いのひとつに
なっています。
「人魚が眠る家」の話に戻しましょう。
クライマックスのシーンも
圧巻でした。
植物人間とは言え、生きていると母親は
思っていますから、車椅子に乗せて
散歩に連れて行ったり、
娘(瑞穂)の弟の入学式に連れて行ったり
と世間からは変な目でみられます。
死人を連れ歩いている
みたいな感じで弟は友達たちに
君悪がられるわけです。
子供は残酷ですからね。
自宅で開催するはずの
バースデーパーティーに
弟は友達を呼んでなかったことを
きっかけに家族と言い争いになり、、、
母親は警察に通報して家に来てもらいます。
包丁で娘の心臓を突き刺そうとするのです。
このセリフが強く残っています。
「瑞穂を刺します。法律は私を殺人犯に問いますか?瑞穂が死んでいるというなら私は無罪ですよね。でも、殺人で裁かれるのなら、私は喜んで刑に服します。それは国が瑞穂が生きていると証明してくれたのだから。」
ドクターからも家族からも
社会からも死んでいると思われているなら
包丁で心臓を突き刺したって
殺したことにならない。
もし、殺人になるのなら、
生きていることの証明になるから、
喜んで刑に服す、と。
「人は二度、死なない」
と言うのです。
いろいろ考えさせられますよね。
娘の墓石に刻まれた死亡日が
また強いメッセージを孕んでいました。
脳死状態から20数年経って
目覚めたケースもあるらしいですし、
直面する家族や社会は
いろいろ判断が難しいですよね。
しかも、その眠っていた20数年間
周りの声は聞こえていたというから
驚きですよね。
意思表示、アウトプットできないだけで、
本人は意識もあったし、
インプットもできていた。
スペイン映画の「トークトゥハー」も
思い出す今日この頃です。
長くなってしまったので、
「旅猫リポート」と「ROUTE END」は明日にでも。
映画「旅猫リポート」で、
かつて野良猫だったナナは
こんなセリフを残しています。
ナナ『分かるよ。僕は、サトルが僕をサトルの猫にしてくれたとき、きっと悟と同じくらい嬉しかったよ。野良なんて捨て置かれて当たり前なのに、サトルは足を折った僕を助けてくれた。それだけで奇跡的だったのに、サトルの猫になれるなんて、僕は世界中で一番幸せな猫だったんだよ』
ナナ『だから、サトルが僕を飼えなくなっても、僕は何も失わないんだ』
ナナ『ナナって名前と、サトルと暮らした5年を得ただけなんだ』
ナナ『たとえサトルが僕より早くいなくなってしまうとしても、それでもサトルに出会わないより出会った方が僕は幸せだったんだ』
ナナ『だって僕は、サトルと暮らした5年をずっとずっと覚えておける』
ナナ『コースケや、ヨシミネや、スギやチカコや、そして何よりサトルを大きくなるまで育ててくれて、僕と巡り合わせてくれたノリコ。サトルを取り巻く人たちも、ずっとずっと覚えておける』
ナナ『こんな幸せなことって他にあるかい?』
何が良くて何が悪いのか、
幸せに生きるとは何なのか
考えさせられますね。
では、続きは明日にでも。
島田晋輔
PS)
せっかくなので、予告編をどうぞ、、、
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