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焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。 前者はあやまちを増し、後者は新たな後悔を生む。
– ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
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ゲームでも漫画でも映画でも
障害なく最後までゴールに一直線というものがないように、
生きていたらいろんな障害がある。
絶体絶命のピンチ!
ということに
出くわしたことがない人は
いないはずだ。
もうダメだ、、おわった。。
そう思っても、振り返ってみれば
あれはあれで楽しかったなと
思うことばかりで、
当時の苦しみなんてかすれている。
焦ることは何の役にも立たない
とゲーテが言うように、
後がない、、ジエンドというときでも
道は必ずあるもので、
最後には帳尻があうようにできている。
親しい人の死に際を体験するうちに、
自分の中の死生観というものも
ずいぶん変わってきて、
生きていることがいいこと、
死ぬことが悪いことと
単純には思えないようになってきた。
見方や心の持ち方で
ずいぶんと解釈が違ってくるからね。
絶体絶命のピンチを切り抜けて
命があるということは、
なにかしら役目、意味があるのだと
僕は解釈している。
こう考えると、苦しいときでも
ずいぶんラクで焦燥感や後悔というものと
ずいぶん距離をとることができているな、
と客観視している自分がいる。
よく人に淡々としているね
って言われるけど、
それは焦りや後悔から
遠い位置にいるからかもしれない。
近視眼的になって、
目の前のことが曇ってみえ、
判断が鈍り、過去を彷徨うことになる
ということと無縁になるだろう。
それでも僕は焦りや後悔が必ずしも
悪いものだとも思わない。
それはそれで、自分を前にすすめる
きっかけとなることもあるのだろうし、
人によっては原動力になるかもしれないから。
ずっと焦り続ける、
ずっと後悔し続けるのは
いかがなものかと思うが、
いつでもハッピーイェーイ
っていう人よりは、
人間臭くて好感がもてる。
やはり大切なのは、
焦りや後悔を感じたときの
距離の取り方で、
バランスだ。
そういうときこそ、
人間の本性がでるもので、
どう判断し、どう選択していくか、
ということが大切になってくる。
誰が言ったか忘れたけど、
真のエースというのは、
不調のときに試合を立て直せるピッチャーだ
みたいなことある。
これといっしょだね。
焦りや後悔はゲーテが言うように
なにも生まないだろうけど、
そう感じているときに、
不調のときに、
どう振る舞うかで
品格が問われるのだろうな
ってよく思う。
では、今日はこのへんで。
良い週末をー。
島田晋輔
PS)
今日の一曲はこちら、、、
10代のころ観ていたけど、
いい映画だよね。
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