1年間通してジョンロックの「知性の正しい導き方」を
じっくり読み込む、、、というよりジョンロックと対話をする
インプットクラス。
いわゆる世間一般で言われている
読書講座とはずいぶんと傾向の違うものだろう。
木坂さん自身が言っていたけど、
自分の読みたいように読んでしまう、、、
そういった思考の癖、
自分のフィルターを強制して
外していく作業をし、
訓練をするものなのだと。
模範解答といった言葉があるように、
僕たちは受けてきた学校教育の影響で、
知らず知らずに解を求める癖が身についている。
どこかに正解があって、
その正解を導くことが
勉強だと思い込んでいる。
でも、実際に現実を生きていく上で、
正解があることはほとんどなく、
いかに正解のない状態に耐えられるか、
対峙してその時の最善の決断をくだしていくのか、
というのが往々にしてよくあること。
だったら、もっと現実に即した学習を、
というのが講座を主催する
木坂さんの想いだし、
受講している僕ら側の目的もそこにある。
(少なくとも僕にとってはね)
で、やればやるほど
本が読めてないことがわかるこの講座。
いままでは本を読んだ気になっていただけであって、
実際は全然読めていなかったな、
という「絶望」を何度か経験したことある。
この絶望を経験すると、、、
ひとの話も聞いてるようで
ぜんぜん聞いていなかったな、とか、
ビジネスをわかってるつもりで
ぜんぜんわかっていなかったな、とか、
音楽を聞いてるつもりが、
ぜんぜん味わえてなかったな、とか、
味の違いもわからずにお酒を飲んでいたな、
みたいな日常生活で絶望の連鎖が始まる。
無知の知というのはよく言ったもので、
わかっていなかったと解った瞬間、
世界がまた一段深く美しく見えるようになっていく。
同じ本を読んでも新しい発見や気づきがあるのを
経験したことが誰にでもあるように、
日々、僕らは変化していく。
そこに書いてある文字、
テキストは同じはずなのに、
なぜ、違うように読めるのか?
同じテキストを読んでいるはずなのに、
隣のひとと意見が食い違うのは
なぜなのか?
結局は、見たいように見、
聞きたいように聞き、
知りたいように情報を調べてしまう
人間の気質によるものだということ。
昨日の思想史セミナーでも話があったけど、
人間が生存していく上で、
必要な戦略だったのだろうと。
なので、自分の見たいように見ているものを
矯正していくのは、実は生き物として
とても不自然なこと。
でも、そうしないと都合のいいように読んでしまって、
解釈してしまって、行き先を間違えてしまうからね。
読書であっても、ビジネスであっても、人間関係であっても。
ライティングセミナーは人気なのに、
こういった読書のセミナーが不人気なのが
不思議でしょうがない。
writer is reader
という言葉があるように、
読めないのに書くことができないのにね。
正しいインプットができないのに、
良いアウトプットなどできるわけないのに。
ひとの話を聞けていなかったら
最適なアドバイスなどできないのに。
事業の数字やポイントを読み違えていたら、
ビジネスの打ち手も外れるのに。
めちゃくちゃしんどいけど、
こういった訓練は人生の財産になると思う。
では、今日はこのへんで。
また明日。
島田晋輔
PS)
今日の一曲はこちら、、、
いいPVだね!
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