Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

小野さん主催の智頭合宿2日目、3日目

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2泊3日の智頭合宿も先ほど終わった。

と思いきや、小野さんと
あと2名ほどは残るってことなので、
わりと時間と場所とかに縛られていない
自由人たちの集まりなんだな
とつくずく思う。


昨日、合宿2日目。

まずはみたき園に。

一歩足を踏み入れたときから
ご馳走がはじまるみたき園だけど、
山の風景や川の音、
失われた田舎の風景こそ
一番のご馳走かもしれません、
という女将さんの話には
たくさんの学びや気づきがつまっていて、
参加者の中でもこの女将さんの話が
一番よかったというひともいた。

みたき園で食事をしたあとは、
植林イベントに参加。

1000年いきるという桜
エドヒガンを植える。

いっしょにひふみたちも植えたけど、
彼らが大きくなる頃に満開になったこの桜の下で
いっしょにお酒でも飲めたらって思った。

そして、ひふみたちも親になって
おじいちゃんになって
子や孫たちといっしょに
桜をみながらお酒を飲む。

そんな命の連鎖を考えさせる
植林だった。

植林作業が終わったら少し宿に戻って
フリータイムを過ごしたあと、
みんなで西粟倉の温泉の元湯へ。

温泉に入りつつ、
ビール飲みつつ、
城ドラやりつつ。

まあ、多少いろんな話はしたのだけど、
基本的に飲み食いしてる宴会みたいな感じだったね。


で、今日3日目。

宿泊所となる地域と科学の出会い館で
まるくなってみんなで合宿の感想を。

いろんな背景や経緯や想いがあって、
涙がみえたり、笑いもでたり。

お昼で合宿所をあとにして、
板井原に行き、
日曜日しかやっていない
火間土に。

かわいらしいおじいさん、おばあさんが
築110年の古民家で営んでいて、
天日干ししたお米を30時間かけて精米して
かまどで炊き、旬の山の幸といっしょにいただくというもの。

ご飯が美味しすぎて、僕も4杯もおかわりしてしまった。
(なめこ汁は2杯)

そのあとは、近くのカフェ歩とりで
食べたり飲んだり笑ったり。

そんな感じで合宿は終了。

解散となった。


最終日の話し合いで
みんなに共通してでてたのは、
生きるや死ぬとううこと、
家族のこと、自分のこれからの進むべき道、
人生、、、みたいなところかな。

普遍的なテーマが多くて
もちろん正解なんてないのだけど、
失われた日本の原風景というか、
ゆったりと流れる時間、
自分との対話、みんなとの交流、
いろんな体験ができて
それなりに満足したんじゃないかな
という感じ。

僕もたくさんの学びと気づきがえれたし、
楽しかった。

なにが楽しかったって
リーダーであるはずの小野さんが
8割以上すべっていて、
ほとんどの場面で
メンバーの共感をまったく
得られていなかったってとこ(笑)

イエスを積み上げ、
ラポールを築けなんて
いう人もいるけど、
まったく必要ないね、
小野さんと小野さんのグループと
接しているとそんな風に感じる。

聞こえていても聞こえていなくても
ディスコミュニケーションが基本。

誤解と誤解の間に生まれるのが
エンターテイメントって言ったのは誰だっけ。

話が噛み合わないくらいがちょうどいいね。

これでいいのだ。

では、また明日。


島田晋輔


PS)

合宿参加者のデニーロによる志村けんの東村山音頭を、、、

って思ったけど、本人が顔出しNGって言うので、
一番好きだと言っていたブルーハーツのこの曲を、、、



PPS)

親指シフトトレーニング16日目。

取り扱ってるジョンロックの「知性の導き方」の原文自体は
著作権がきれているので、ここで公開するのは問題ないだろう。

ただ、翻訳や出版に関しては曖昧なので、
しっかりと引用元を明記しておこう。

取り扱うのは、ちくま学芸文庫の下川潔氏の訳のもの。

では、さっそく15分のトレーニング開始。



知性の正しい導き方

ジョンロック著
下川潔訳

間違った意見を保持したり、十分な探求なしに知覚され認識された事柄を少しも疑わずに擁護することほど、軽率で賢人の威厳と堅実さにふさわしくないことがあるだろうか。(キケロ「神々の本性について」第一卷)


第一節 はじめに

 人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性です。なるほど私たちは心の諸能力を区別し、あたかも意志が行為の主体であるかのように考えて、最高の指揮権を意志に与えます。しかし実際には、行為主体である人間が、すでに知性のなかに持っている何らかの知識や知識らしきものに基づいて、自分自信を決定し、あれこれの随意的行為を行うのです。誰でも、何らかの行為を始める場合には、自分にとって行為の理由となるような何らかの見解うを必ず持っています。人がどのような能力を用いる場合でも、本人を絶えず導いてゆくのは、とはもかくこの光が、本人のあらゆる活動力を導きます。意志それ自体は、たとえどんなに絶対的で統制不可能のように見えても、知性の命令には必ず服従します。神殿にはそれ特有の神聖な像があり、これが人類の大部分にどれほどの影響力を常に行使してきたかは、私たちの知るところです。しかし、実際には人々の心にある観念や像は、目にみえない力として絶えず心を支配し、いたるところで心をすぐ降伏させてしまいます。したがって、知性の扱いに十分配慮し、知識の追求や判断の形成にあたって知性を正しく導いてゆけるようにしておくことが、最大の関心事になります。
 現在使われている論理学は、諸学芸の研究において心を導く技術として学問の世界で教えられている唯一のものであり、大変長い間そのような地位を占めていました。論理学の規則は、二、三千年ものあいだ学者の世界に奉仕し、学者が欠陥があると不平を言っていたこともないものです。したがって、その規則によって知性を導くのでは十分でない、と疑念を表明すれば、おそらく新奇さをてらっていると思われるでしょう。そういう試みは、かの偉大なヴェルラム卿の権威によって正当化されでもしなければ、虚栄心や思い上がりであるとして避難されるに違いありません。卿は、学問は何世紀も進歩しなかったのだから、過去の過去のあり方を超えてもうこれ以上前進することありえない、という奴隷的な考え方をしませんでした。過去の学問のあり方を、過去においてそうであったという理由で怠惰に是認したり賞讃して満足することもありませんでした。そうではなく、ヴェルラム卿は心を広げて学問のありうべき姿を考えました。論理学に関する著『ノヴム・オルガヌム』の序文で、卿は次のようにはっきり述べています。「論理学にこれほど大きな役割を認めた人々は、知性を規則によって保護せずに、それを働くままにわ放置しておくのが安全でないことを、確かに見事に正しく見抜いていた。しかしながら、この治療法は病を根治することなく、むしろそれが病の一部分になってしまったのである。というのも、用いられたその論理学は、市民生活に
関する事柄や、言論や意見に依存する技術においては十分役立つこともあるかもしれないが、自然の実際の働きの微細さには到底及ばないものだったからである。しかも、手が届かないところにあるものをつかまえようとしたために、それは真理への道を開くことなく、逆に誤謬の追認と固定化を助長してしまったのである」。こう述べた少し後で、卿はその結論を次のように述べています。「心と知性を使用するための、より優れたより完璧な方法を導入することが、ぜひとも必要である」。


第二節 才能

 人々の知性には、明らかに大きな違いがあります。なかには、生来の体のつくりが技術や勤勉では克服できないほどの大きな差を知性に生み出し、他の人たちが容易にできることを達成するだけの基礎を自分の生来の資質の中にもっていないように思われる人たちもいます。平等な教育を受けた人々の間に、才能の大きな不平等があります。また、アテナイの学校だけでなくアメリカの森が、同じ種類の人間の中に異なった能力をもった人々を生み出しています。しかし、たとえ実際にその通りであるとしても、私が想像するに、大部分の人たちは、自分の知性をおざなりにしているために、それぞれ自分なりに到達しうる地点のはるか手前までしか到達していません。この件については、わずかの論理学の規則があれば



今日のトレーニングはここまで!

この公開トレーニングは、これによって何か特別な利益をえようとしたり、
利用したりといったものではなく、自分のコミットメントの純粋な記録として。

すべてのブログ記事に言えることだが、
誰かを不快にさせようとか、
悪意があるものはひとつもないので、
ここに強調して明記しておく。

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