Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

専務!

「将来の夢は社長になることです♪」

おそらく、小学生の将来の夢の作文の定番はこれでしょう。

誰も彼もが、みんな社長になる…

そんな夢を描いていたと思います。

もちろん、私もその一人でした。

今でも忘れませんが、
その作文は、教室の掲示板に貼られ、
授業参観のときに見られるようになっていました。

ただ、それは全員が貼られたわけではなく、
40人くらいいた中で、3名くらいでした。

私の作文は、内容が「建設会社の社長」でしたので、
先生が、家の形に切り取った色画用紙に、
私は原稿用紙から転記し、それが貼られていました。

他の人は何だったかあまり記憶していませんが、
女の子でしたので、何かキラキラした感じだったと思います。

今思えば、よく恥ずかしいという感情なしに、

「はいっ、社長になります!」

と言っていたな〜と思います。

もしかすると、それが子どもの強みであり、
私は、その頃は、まだ他の子に知能が追いつききらないときでしたので、
夢物語として描いていたのかもしれません。

今では「社長ですか?」と聞かれると、

「違います。。。ただ、代表取締役ですけど。。。」

という感じで、すぐに違うと言ってしまいます。

このあたりの事情は話すと長いので割愛しますが、
役職上では、母が社長になっていて、
登記上では、私と母の2名に代表権を付けています。

ただ、母は便宜上、社長というだけで
まったく社長業はしていません。

あくまでも、経営者として…社長として…の仕事は私がしています。

だから、よく「社長ですか?」と聞かれても
そんな反応をするのです。

というより、これは私の父譲りなのかもしれませんが、
私も父も「社長」という響きに、何の価値も感じていないからでしょう。

例えば、私の父はいつもこんなことを言っていました。

「あのな、自分はたまたま会社を起こしたから社長なだけで、
特別何を持っているとか、そういうのはないんだよ。

しかも、こんな地方のちっぽけな会社だろ。
社長というより、オヤジと呼ばれるくらいのほうが良い。

社長になりたかったら、お金さえあれば誰でもなれるんだから。

だから、そこに価値はないんだよ。」

だからなのか、私の父は「社長」と呼ばれることを
極端に嫌がっていました。

ちなみに、私もそうです。。。

実は、父から会社を受け継いだ当初
便宜上「専務取締役」と名刺に入れてしまったところ…

「専務!」

と、、、私の名前が抜け、

社外の人からは「役職名」で呼ばれるようになってしまったのです。

そのようなこともあり、
私は自分が呼ばれている気がしなく、
いつしか面倒なので、専務取締役を取ってしまい、
何も役職がない名刺を使うことにしました。

ただ、最近はちょっと事情があり、
「取締役」とだけ入れるようにしましたが。。。

そうそう、私の父も生前は代表取締役と
役職を入れていない名刺を使っていたようです。

そんな感じですので、あまり社長という言葉に
何も感じないのですが、、、

そんな私の小学生…いや小学2年生のときの作文ですが、
そこには社長と書かれていました。

ま〜、そこは小学生の定番ということでお許しください。

ただ、今思うと「なぜ、私の作文が貼られたのか?」という点です。

実は、それについて島田さんの一言で、先日思い出しました。

それは、インタビューを受けているときのことでした。

「小学生のときから、会社を創ると決めていたので貯金していました。」

「へ〜、それは秋山さんらしいですね。」

そう、私が小さい頃から、会社を創るために貯金をしていた
という話への島田さんの反応でした。

私は、その反応があるまで、
全くそこに自分らしいなどと考えたことはありませんでした。

だって、会社を作りたいなら、
そのときは有限会社を作ろうとしたら300万円は最低必要でしたからね。

だから、私の目標設定は大学卒業までに300万円を貯めるでした。

それと、これは残念ながら違う方向に行きましたが、
大学で結婚相手を探し、起業当初は、その人の収入で支えてもらうという目標がありました(笑)

そこで考えたのがアルバイトのやり方です。

その頃は、まだ1〜2年生で一気に単位が取れる時代でしたので、
私は、2年生まではフルで授業を取り、行けるところまで単位を取る作戦にでました。

そして、その作戦を遂行するために日常的にバイトはしませんでした。

その代わり、夏休み、春休みなどに家業の内装業を手伝い、
一気に貯金を稼ぐ手段に出ました。

結果、3年生になるときには残り20単位で、3〜4年生はほぼ手放しになりました。

そこからは、バイト中心の生活です。

バイトの合間に授業。

バイトの合間にバンド練。

バイトの合間にバスケ。

そんな感じで、何とか300万円を貯めることができました。

で、これを振り返ると、小学生のときに社長になるのが夢と書いていても、
現実的に見て、資金が必要だと思って貯めていた同級生はいなかったので、
私らしいのかもしれません。

また、そのときの作文も、、、

なぜ、選ばれたのかも、思い出しました。

さすがに、あの有名な作文…
イチロー氏や石川遼氏のようにはいきませんが、

私は、、、

「社長になるためには、こうならなければならないから
高校はどこどこに進学して、大学は東京の大学に言って何々をする必要がある」

と書いていました。

今思えば、そりゃ〜他の子と違うので貼られますよね。。。

私もなぜそんなことを考えていたのか分かりませんが、
知能が遅れていたにも関わらず、なぜかそこだけはしっかりしていたのですね。

「目標設定し、それを達成するために必要なことを考え実行する」

これが自然に小さな頃からやっていたことに驚きました。

とはいえ、そのあとの中学・高校・大学・就職が
全部上手く行ったわけではないですけどね。。。

それは、また今度お話ししましょう。

そうそう、一つ言い忘れました。。。

このような目標って、けっこう笑われることが多いですよね。
あのピアノコピーのように(笑)

「お前が社長になれるかっ!?」って。

でも、そんな目標だから立てる意味と挑戦する意味があるのだと思います。

参考までに、私が過去に身内やかつての上司に笑われた年収目標を掲載しておきます。

◯30歳までに、月50万円(年収600万円)

◯35歳までに、月100万円(年収1200万円)

◯40歳までに、月180万円(年収2160万円)かつ年収1200万円より楽して/
会社の基盤固め(組織変革・ビジネスモデル変革・耐えて耐えての時期・エネルギーをためる)

◯45歳までに、月300万円(年収3600万円)かつ年収2160万円より楽して/
会社の成長期(押し車の法則・耐えて耐えて突破する時期)

◯50歳までに、月400万円(年収4800万円)かつ年収3600万円より楽して

◯55歳までに、会社を魅力的な価値まで高め、経営権を譲る

達成できているかどうかは内緒です(笑)

自分の中では、もっと高くしなければいけないと思っていますが、
こんな感じになりたいですね。

ちなみに「40歳まで」のところに、
コンサルティングビジネスを「年間売上2000万円」という目標も先日追加されました。

でも、これも笑われてしまいました(汗)

いや、ぜんぜん難しい話ではないんですけどね。

むしろ、なぜ笑われたが不思議です。。。

さてさて、あなたの目標は何ですか?

そして、それは笑われるような目標ですか?

こうやってアバウトでも良いので書き出してみると面白いと思いますよ。

秋山大介

PS)

では、島田さん風に(笑)←真似wwwwww

今日の一冊はこちら、、、

あの藤田田氏の本。

私は、あの藤田氏が亡くなる1ヶ月前のお元気なときにお会いする機会がありました。

そのときに感想は、、、

「マクドナルドなのにケンタッキーだ!」でした(笑)

これ…意味分かりますか?

この記事を書いた人

経営管理修士(MBA)を取得しておきながら「倒産寸前からV字回復を経験」した経営コンサルタント。倒産させたら「経営管理修士(MBA)はしょせん実践では使えない…」と言われてしまうと思い、その知識を使いつつ地べたを這いつくばる戦略でV字回復させる。得意分野は「人材育成」「マーケティング」。 現在は、これまでの経験を活かし、家業の会社を経営しながら、コンサルタントとして活動中。顧問先からは、経営者の視点での人材育成やマーケティングのコンサルティング手法に定評がある。

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