今日は読者さんから
興味深い質問を頂いたので、
お答えしよう。
もらった質問はこちら、、、
自分は自分の至らなさで、4歳の娘と別居してます。なので、このブログ記事が心にグサッときました。
「無教養の不自由人の者が子育てをしてはいけない」というプラトン先生の言葉に頭が下がる思いです。
でも、プラトン先生の師匠、ソクラテス先生の「知らない事を知ってると思いながら生きてる人間より、自分は何も知らないという謙虚さがある人間の方が良い」という話を最近知り、勇気を貰っています。
自分の至らなさを改めて、親の資格を取得したいです。
P.S ディシプリンのくだりで【「規律」では本当の意味は分からない】とありましたが、以前、ディシプリンを「自己規律」と言っていたと思いますが、それだけの認識では甘いという事でしょうか?機会があれば、ブログ記事で、お答え頂けると幸いです。
というもの。
まず、4歳の娘さんと別居してるとのことですが、
僕自身は別居自体が悪いことではないと思っています。
イクメンによる子育ての弊害もあるという研究結果もあるようですし、
いま、世の中で言われている常識や倫理観が全て正しいとは限らないからです。
必ずしもいっしょにいることが良いとは限らないでしょう。
「自分の至らなさ」と言われているので、
なにか事情があるのでしょうが、
まずは僕の個人的な意見として。
で、質問のディシプリンについて、ですね。
こちら2つの記事を読んでの質問かと思います。
僕の認識、解釈になってしまいますが、
ディシプリンを自己規律と捉えるのは
間違いではないと思います。
いかに自分を律することができるか、
カラーコーンの外を走るという例がわかりやすいかと。
ただ、さらにもう一歩踏み込んで、
〜せねばならないと自分を追い込む意味での
自己規律ではないと思っています。
それが、
【「規律」では本当の意味は分からない】
につながるもので、
自然と、
〜的である
というのが前提にあって、
相応しい行動がある。
それが結果として自己規律になっていることだと思っています。
昨日のブログで取り上げた「お楽しみ様」という挨拶や、
1日に2リットル水を飲むという話にも通づるのですが、
まずは相応しいあり方があって、それによって自然と
行動や選択が変わってくるというものですね。
ファッションは相手のため、とよく言われますが、
場所や状況に応じて、全てつながってくるものだと思うのです。
手元にお金があったらPPCなどの広告費に突っ込むのではなくて、
スーツを1着オーダーする方がリターンは大きいのに、
と木坂さんと話していたことがあります。
オーダースーツがなぜビジネスと関係あるのか、
因果関係がわからなくなるかもしれませんが、
こういった背景をつなげていくと
みえてくると思います。
お金ができたらスーツをオーダーするのではなくて、
スーツをオーダーするようになったら、
(相応しい自分となって)
結果としてお金が増えたという感じです。
ディシプリンという自己規律は、
自分を厳しく律するだと不十分で、
このように、相応しい在り方が根底にあるのだと
捉えるとすっきり見えてくるかと思います。
ちょっとわかりにくいかもしれませんが、
少しでもヒントになれば。
同じ親として、これからもいっしょに励んでいきましょう。
ありがとうございました。
島田晋輔
PS)
今日の一曲はこちら、、、
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