九州地方でクレパパの活動をしていました。
通称クレパパですが、
クレイジーパパコミュニティの略でして、
正式名称はPAPA PAZZO STRONZO
といいます。
大衆的なふつーのおっさんじゃなくて、
唯一無二のクレイジーなおっさんであれ!
みたいなコンセプトのコミュニティ。
博多在住のメンバーである
ドクターの大山さんは
学会の集まりのような位置付けで
参加してくれてるようです。
臨床現場に立つ医者として
医学の知見を深めるだけでなく、
こういったボーダーレスな会に
積極的に参加してくれるなんて、
セクシーですよね。
嬉しい限りです。
コミュニティ活動としては
知性と感性磨きを
メインとしていまして、
テーマを設定してディスカッションしたり、
いろんな体験会に赴いたり、
大人ならではの遊びをしたり。
今は募集していない
クローズドなコミュニティなのですが、
不定期に集まって愉しんでおります。
で、今回の九州編。
去年の2月に訪れた
小倉の個性的なお寿司屋さんへの再訪です。
芸能人御用達!みたいな
ダサいお店ではありません。
お金払えば食わせてもらえるなんて
大間違いで、場違いな人間は
ふつーに追い返される
ヒリヒリした緊張感のあるお店です。
最高にクールでとんがってる店で、
この場所、この瞬間、この人でしか
表現できないものを体験できます。
かっいい日本人であってほしい!
みたいなメッセージもあるようで、
初めて訪れたときは僕ら全員お箸の使い方や
お椀、お盆の使い方など作法や所作を
注意されました。
お腹を満たすために寿司を食べに行くというよりは
文化や伝統、哲学を踏まえたアート体験を堪能する
というジャンルの位置になるかと。
クセの強いご主人が織りなす
アート作品というのは言い過ぎではなく、
寿司のイデアというか、
本来の寿司を提供してくれる
原点回帰を地でいく
本質的なお寿司屋さんです。
新鮮なネタを食べるのがお寿司
という作られた常識でお店を訪れると
一蹴させられます。
そもそも一元さん嫌いですし(苦笑)
ネタは最低でも5日以上寝かせたもの。
20年前の赤酢とか
寝かせた3ヶ月前の牡蠣とかでてきます。
とは言っても安易に熟成とか発酵といった
形容をしてはいけません。
寝かせて時間をおいたのが熟成や発酵
とそれっぽく言ってる人は
モノを知らない人間が無知を晒しているだけだ
とご主人は辛辣に切り捨てます。
宇宙の理があって原理原則がある。
旬なものを食べるというのも
また浅はかで、和食には
走り・旬・名残というものがありまして、
5日周期で最適な食材が変わっていく、と。
その土地土地の最適なものを最適なタイミングで
頂く、それが和食だと教えられました。
そんなに時間をおいた寿司なんて
大丈夫なの?と思うかもしれませんが、
ご察しの通りきちんと
本来の下処理をしていなければ
食中毒になるそうです。
本来、寿司屋の仕事として
きちんとした下処理がある。
でも、そこをショートカットして
提供してる寿司屋(っぽいもの)しか
今はありませんので、
他の寿司屋(を名乗る店)に行く価値はないと
ご主人は言われていました。
先人たちへの知恵と文化への敬意があり、
同時に審美性も哲学も失われた現代社会への
怒りがひしひしと伝わってきます。
それっぽいものをつくって
良いお値段で寿司を提供する店を
ばっさり糾弾します。
それなら安価で提供する
回転寿司の方が
よっぽど企業努力している、と。
まあ、確かにご主人の言葉も
納得なほどの唯一無二のお店でして、
食材本来の最適なタイミングで
お客に出すというのは、もう芸術のようです。
ただ、受け手のリテラシーを
求められるお店ですので、
敷居が高いことは間違いありません。
食事に行くというよりは戦場に行く気持ちですが、
気を引き締めて参加しました。
とは言って、ご主人のこだわりや主張を押し付ける
のではなく、顧客と対話をして瞬間の美を
奏でるハーモニーを感じます。
僕がハッとしたのは前回訪れたときの
梨の巻き寿司のこと。
寿司ネタに梨!?
なんて思うかもしれませんが、
これはこれで上品で美味しい。
最後にもってくるあたり、食後感も
ステキなものがありました。
これに関してご主人は変わったことを
したいのでもなく、
奇をてらってるわけではなく、
季節感を手軽に感じられるものが
果物だから使用したと
種明かししてくれました。
つまりはリテラシーの低下した
僕ら顧客への愛情だったんですね。
愛情をもって顧客を観察し、
丁寧に対話しながら、
日本の美を体現していく。
贅沢な時間です。
続きは明日にでも。
島田晋輔
PS)
今日の一曲はこちら、、、
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