Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

もったいない

雪化粧した
風景を窓から眺めがら
ライラック号に乗って
札幌に戻ってきました。

クレパパの今月の参考図書である
福田恆存さんの
「人間の生き方、ものの考え方」を
お供に。

福田恆存さんの文章を通して
彼の人間性に触れていると
穏やかな気持ちになり、
より丁寧に生きたいと思うから
不思議なものです。

この中で日本人の感覚、
美意識や文化感覚について
語られている箇所に
印象的な一節がありました。

「そもそも倹約とは物自体を尊ぶということなのです。」

こういった考えや感覚が
僕たち日本人にはそもそも備わっているものだ、と
福田恆存さんは言います。

この考えに関して興味深い例えがあったので、
引用しましょう。

よその家で出された食事を残すと「もったいない」と考える。それは第一にその食物に食物としての本来の機能を発揮せしめなかったから「もったいない」のです。第二にその食物を作ってくれた相手の家の人の誠意を十分に受け止め得なかったという意味で「もったいない」わけです。このようにすべて物質の中に何か心を見て行くというのが日本人の本来の生き方です。

「人間の生き方、ものの考え方」福田恆存

当たり前のことを言っていますが、
わりと忘れがちな感覚ですよね。

ものを粗末にできないから残せない、
まではあっても
つくってくれた人の誠意を受け取れなかったから
もったいないと感じる日本人らしい人は
だんだんと減ってきているように感じます。

でも、本来備わっている感覚なので、
粗末にすることへの醜さを
僕たちは自然と感じるのもので、
なかなか言語化できないだけだと
僕は思っています。

昨日のブログで取り上げた
小野さんの主張、
体験をなかったことにしてしまって
残念だという言葉の裏にある感覚は、
その人自身を活かし切れていない
という残念な気持ちと
真心込めた作り手の誠意を
受け止めてもらえなかった
という悲しみがあるように思います。

彼がそう言っているわけではありませんので、
あくまで僕個人の解釈ですが、
そういった僕たち日本人に備わっている
美意識によるもののように感じます。

札幌で流した小野さんの涙の理由は、
感動や喜びといったものでなく、
悔し涙だと本人は言っていましたが、
僕なりに正確に表現するとしたら、
美意識に反する怒り、憤り、
心を受け取ってもらえない悲しみ、
活かしきれていない苛立ちであると思います。

福田恆存さんはもてなしてもらった料理を
例えに出してくれましたが、
何にでも当てはめることができると思うのです。

自分自身への労いとともに、
相手に対する敬意。

粗末にあつかわず、
ひとつひとつ丁寧に生きたいですね。

古風な考えかもしれませんが、
本来の人間の生き方、
僕たち日本人に備わった美意識だと思うのです。

そして、そういった本来の生き方、
美意識を大切にしている方が、
心身ともに健康で、
社会的にも経済的にもうまくいっている
という事実を忘れずにいたいです。

それでは、今日はこのへんで。

島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、



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