「そういう時に日頃の積み重ねを
問われるんだよ。」
・・・これは、
漫画「あさひなぐ」に
登場する寿慶のセリフ。
寿慶は、薙刀部が夏合宿を行うために
訪れた寺の副住職で、
部員たちを想っての
言葉だ。
今月からワイルドサイド部を
始めたこともあって、
共感することが多かったので
引用した。
苦しいときこそ、
日頃の積み重ねを問われる。
ワイルドサイド部も
部活動ってだけあって、
遊びではなく(遊びの要素も強いけど)
ストイックにやることを
やっていかないとなって
よく思う。
スパルタにっていう
方向ではないけど、
寿慶の言葉にあるように、、、
楽な方へ流れる習性があるのだから、
それを忘れずに精進しないといけない。
楽な方に流れるのは、
僕もあなたも例外ではない。
ハイデガーが指摘するように、
ダスマンやダーザインは
誰でも持っている。
両方の側面がある。
あなたがバカにしている
大衆のひとりが
あなた自身かもしれない。
楽な方へ流れ、惰性で過ごす。
そういうつもりではないとして
理由はいろいろつけるだろうけど、
結果的に後回しになっていたり、
できなかったりというのは、
結局は、楽な方へ流れているだけなのだ。
荒野を歩くってことは楽ではない。
舗装された道を歩く方が
快適だし、楽に決まっている。
誰かに依存するのもいっしょだ。
そういう道を選び、歩くことは
僕はそれはそれで
ひとつの選択肢だと思っている。
これは、
「たとえば、僕がガンになったら、、、」
にも通ずる話だけど、
問題なのは、自分にウソをつくことだ。
本当は楽して舗装された道を歩きたいのに、
無理をして荒野に飛び出ることを選ぶ。
もしくは、その逆もあるね。
こんなはずじゃなかったのに、、、
と、思いつつも捨てきれない自我とこだわり、
周りが求めるもの、、、
理想と現実のギャップ、葛藤。
そういったところで苦しむ。
そして、やっかいなのは、
この葛藤に解決策はないということだ。
何を選んだとしても
誰かに言われてやったとしたら、
それは薬にならない。
特効薬に見えるかもしれないけどね。
大切なのは、自分で選ぶこと。
選びつづけることしか
道はない。
そう考えたら、
こちらが相手にできることは、、、
これまた寿慶がよいことを言っていて、、、
「できるだけ高い壁をこしらえてやることだけ」
これだけになってしまう。
目の前に立ちはだかった
高い壁をどうするか、、、
もちろん選択するのは、
あなた自身だが、
いっしょに考え、
いっしょに進むことはできる。
自戒の意味を込めてだけど、
4月ももう半ばだからね。
島田晋輔
PS)
今日の一曲はこちら、、、
PPS)
今日、引用したあさひなぐの3巻の
1シーンはこちら、、、
寺で合宿ってよいね。
島田さん、笘米地英人さんとルー・タイスはこういう考え方を推奨してるみたいです。
「何事も自分で自発的に選択する」
つまり、やめたければやめればいい。
やりたければやればいい。
ポイントは自分で決断することだそうです。
自分で決断することの意味は自己肯定感を高めるということ。
楽をしたければ楽をしろ。頑張りたければ頑張れ。
どっちでもいいから自分で選べ。
面白いことに「しなければならない」という強制感は逆に自分の自己肯定感を下げるそうです。
休むことも自分で選択する。
がんばることも自分で選択する。
そうやって自分で選択し続けた人は自分のコントロールができる人になっていく。その結果夢を叶える。
だいぶ端折ってますが、とにかく自分で決断してるという意識が積極性につながるそうです。
杉山さん
コメントありがとうございます。
笘米地英人さんとルー・タイス以上に
僕は自発的に選択することを推奨しています。
なんでもいいから
自分で選ぶことが最も大切かと僕は思います。
なので、寿慶の言うように
「高い壁をこしらえること」
しかこちらではできないんですよね。
これからもいっしょに
高みを目指しましょう。
島田さん、
小野貴正です。
>自分で選ぶことが最も大切かと僕は思います。
>なので、寿慶の言うように
>「高い壁をこしらえること」
>しかこちらではできないんですよね。
同意します。僕はコレがとても大事と感じています。
杉山さん、横から失礼しましたm(_ _)m
小野さん、コメントありがとうございます。
そうですよね。
突き放すでもなく、引っ張るのでもない。
相手を信じて、可能性を閉じず、
相手が登ってくるのを静かに待つことかな、
と僕は考えます。
あさひなぐの寿慶は、厳しいようにみえますが
実は本当の優しさはこういった厳しさといっしょにあるように思います。