Walk on the Wild Side

抽象度のコントロール

昨日のブログの続き。

ギアッチョ阿部さんのコメントから。

「エンタメ」という言葉ひとつとっても
定義によって変わってきてしまうということだった。

で、その定義を共有するには、
前後の文脈を含めて
寄り添って行く必要があるという話。

郷に入れば郷に従えみたいな感じ。

まあ、でもこれは受けての視点での話だった。

一方、では発信者側は
なにも気にしなくてよいのかというと、
もちろんそうではない。

この言葉はこういう意味ですよ、
こういう定義でしていますよ、
としてしまうのもカンタンだけど、
僕がもっと意識しているのは
抽象度のコントロール。

この回のコピーライティングはココロ
でも話したけど、発信者として読み手に寄り添って
抽象度をコントロールしていく必要があると
思っている。

どのくらいの抽象度が適切かは
それこそ対話のなかで見出していくから
はじめからはわからないのだけど、
少しずつ修正していって
ちょうどいいところを見つける感じ。

昨日の話を踏まえると、
受け手側(読み手)は、
文脈を踏まえてその世界での言葉の定義を共有し、
発信者側(書き手)は、世界観構築のために
相手の寄り添う。

著者と読み手の共同作業って言ったのは
ロランバルトかな。

もし、あなたが何かしらの情報発信や
メッセージを届けることをやっているのならば、、、

この共同作業という視点を持つと
いい意味でずいぶんとラクになると思う。

こちらが全部やる必要もなくて、
かといって全部相手任せでもない。

阿部さんのコメントに戻ると、
記事によって「エンタメ」と感じる人もいれば
そうでないひともいる、、、

そういった言葉ひとつひとつの共有を
発信者、受け手側で行っていくということ。

その共有した言葉が共通の土台、
共通地平を築く。

はじめからぴったりもなく。

ぴったりとあてはまり続けることもない。

日々、変化していくという当たり前の前提をもって
対話していかないとね。

ではでは、今日はこのへんで。

また明日。


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、


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