Walk on the Wild Side

なぜ、人は「心の病」になるのか

昨日の続きの話。

現実的に考えるという意味で、

「まずは利己心を満たしてやる。
そのうえで、利他心に訴える。」

という大切な順序について
共有した。

利己心を満たしてあげないと
利他心には訴えられない
という原則の確認ね。

大切な点は、これはあくまでも
人間の性質から導いたものだということ。

「こうあるべき」

という視点の話ではないということを
合わせて抑えておきたい。

現実を生きる上で、
そもそも無理なことを要求しても
仕方がないということ。

人間の性質から考えてね。

福島原発の議論なんかの例えもでていたけど、
批判をする前になにかやったのか、と。

電気使ってるでしょ?
冷暖房完備でしょ?
その批判を書き込んでいるパソコンに
電気使ってるでしょ?

と、木坂節が炸裂(笑)。

人類愛に満ちるのはいいけど、
まずは自分(家族じゃないよ)。

今日のご飯、明日のご飯に困っているのに、
他人を助けられないよねっていう指摘。

理想を掲げて
べき論でアプローチをしてもダメ。

なぜなら、現実的なものと規範的なものは
混在していて切り離せないから。

生活が苦しいのに情報発信をしようとするひとがいて
とても不思議。

そういう状況でやっても生活が苦しいひとが
集まってくる場にしかならないのに。

まずは目の前の現実をなんとかしないとね。

虫歯だらけの歯医者みたいなものだから。

この流れで、規範的で「ない」善悪の話があった。

善悪は普通「こうすべき」という規範で語られる。

しかし、それはたとえどんなに現実から乖離していても
正しくなりうる。

果たしてそれは本当に「善」と言えるのか?

と。

正しい戦争状態と不当な平和、
どちらを選ぶのか?

という話がでた。

正しい戦争状態を選ぶ人、、、
規範的な生き方をする人ほど、
裏側に悪が生まれてくる。

「思いやりを持つべきだ!」
と思っているから、
思いやりを持ってない人にイラつく、、、
べき論信者だね。

自分の思い通りにならない世の中に
イラつくことだろう。

では、今日の本題。

なぜ、人は「心の病」になるのか

という話。

人は持って生まれた「本当の自分」と
社会から要求される「演じられる自分」の二重性の中に
生きていて、このギャップに耐えられなくなったときに、
心を病む。

ここでハイデガー登場。

「イマココ」を全力で生きるってやつだね。

でも、、、

全力で生きれば生きるほど、
二重性の乖離が激しくなって
より苦しくなるっていう循環。

良心の無言の声を
演じられる自分でかき消すから。

このギャップを埋めるために、
少年ジャンプを読んだり、
ツムツムやったりするのは、
現実を生きるテクニックなんじゃないかって。

恋人にふられる、
奥さんに逃げられる、
子どもが事故にあう、
などで心が病むのは、、、

単なる「きっかけ」であって、
塞ぎ込んでいるものが
昔からあってそれが爆発しただけの話。

常に不安だから。

「不安」はどこからくるのか
という話になって。

ハイデガーは不安を「根本気分」と呼んだらしい。

僕たちは常に二重の自己を生きているために、
そこから逃げることができないために、
常に不安だということ。

生き物の中で人間だけが「狂う」と言われていて、
その根本にあるのは慢性的な不安ではないかと。

二重性の中で生きているのは
人間だけだからね。

押さえ込んでいるだけで、
ずっと不安。

いつでも病気になる可能性がある。

もともとずっと不安で、
たまたま朝帰りしてきた旦那をみて
塞ぎ込んでいた不安が顔を出すだけ。

不安の声が聞こえないから
耐えて生きているだけだと。

え?あのひとが?
みたいなことを少なからず
誰でも経験しているが、
木坂さんがセミナーで話していたのは、
結婚式当日に電車に飛び込んで自殺、
葬式という実際にあった話。

さてさて今日も長くなって
しまったのでこのへんで。

明日も続きを。

また。

島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、

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