Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

自分の学校をつくろう

いまにもつぶれそうなフリースクールを救うもっとも効果的な方法は、
近所で親や子どもたちを集めて会合をひらき、彼らの前に立って窮状を訴えることだ。
「金がありません。給料も家賃も光熱費も払えないのです。もう学校を永久に閉鎖しなければならないでしょう。」
・・・この時までに、そのフリースクールが何か価値あることをしていたなら、近所の人たちは知らんふりをして学校をつぶれるままにしないだろう。

ジョナサン・コゾル「自分の学校をつくろう」

ほん1972年に「フリースクール」というタイトルで出版された
ジョナサン・コゾルの著書からの引用。

親になる前から教育には強い関心があって
いろんなアンテナをはって、
もちろん書籍などからも知識を得たり、
思考を深めるきっかけを与えてもらっている。

いま、実際に親となって、
子育てにも携わらせてもらうようになった。

子育ては、よく大変だと言われるが、
そして、実際にお母さん方は大変なこともあるのだろうけど、
僕はそういった大変さもひっくるめて
ラッキーなことなんじゃないかって
よく思う。

小さなお子さんを事故で亡くしたお母さんの
記事を読んだことあるのだけど、、、

「もっと小さな服を洗濯したかった」

という言葉が印象的だった。

子どもの小さい服って子どもしか着ないから
特徴的というか、どんどん子どもは大きくなっていくからね。

洗濯してるときは、毎日たいへんだなあ、と思うかもしれないけど、
いざ、洗濯できなくなると虚しさや寂しさが残るのだろうなって。

小さな服や靴があって、本人がいないのだからね。

このお母さんの言葉が印象的で、
毎日大変な育児も、やらなきゃいけないじゃなくて、
やらせてもらえている、と感じるようになった。
(そもそも、そんなに育児してねーだろ、というのは
 置いておいて)

小さな子どものおかげで良い経験させてもらえてる
って考えると、なんとも有り難くラッキーな立場に
あるんじゃないかなあって思ったりする。

ああ、今日は学校の話だった。

さてさて。

廃校になった教室をオフィスとして
活動をしながら「学校」とはいったいどんな場なのだろう、と
あらためていろいろ考える。

ひとつ、僕が思うのはジョナサン・コゾルの言うように、
「価値あることをするところ」もしくは、
場所そのものに「価値があるもの」ということ。

ブランドという安っぽい感じではなく、
学校関係者、先生や親、子ども以外の人たち、
地域の人たちや地域そのものにとって、
意味はあるのか、価値はあるのかというのは
とても大切な視点だと思う。

来ている人がよければいい、
関わってる人だけ満足ならいい、
というものではなく、
そこにあることで、
社会的に、場所的に
いったいどんな意味を持つのか。

ここが大きなポイントになると思う。

そのためには、やっぱり人かなあ、
どんなおもしろい人たちが集っているのか、
ということのように思う。

まだ始まったばかりだけど、
もうすぐ春だからね。

冬にしっかり準備してきたものを
春から少しずつリリースしていく。

では、今日はこのへんで。

島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、



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