Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

厳しい母親と評価をしてくれる先生

なぜ、95点しかとれなかったのか?

なぜ、その「5点」を落としたのか、
永遠と母親に詰められる。

たとえ100点をとっても褒められない。

100点を取り続けなさい

と、母親に教え込まれるだけだった。

母親から否定され続ける毎日。

ひたすら軍事教育のようなものを施される
厳しい幼稚園にも行かされた。

4歳、5歳では単独通園させる
ほどの幼稚園だった。

おかげさまで、自主性を重んじ、
自律心を幼い頃に養われた。

自律心があるということを
抽象化させると、、、

世界を自分の頭で整理できる

ということ。

頭の良い悪いではなく、
情報を整理するチカラは、
幼い頃の自律心と相対関係があるのかもしれない。

だが、一方で、、、

自分の意見を言えない子どもになった。

小学生のころ、
クラスで発言することはなかった。

自分の意見に価値がある
とは思っていなかったからだ。

目立つのが大嫌いで、
存在を消したかった。

みんなで野球をやったときは、
わざと空振りしたり、
変な方向に投げたりして、
自分を「出さない」ように務めた。

自分を極力、消していた。

最初のターニングポイントは、
小学5年生のとき。

オトナ度という独自の指標を用いる
独特な先生だった。

その人の持っている才能や
努力によって手にれたスキルを
表現していこうという教えだった。

信頼され、承認された。

受容されることによって、

自分を表現していいんだ

となった。

親には教えられていない
新しい感覚だった。

中学生のとき、ラグビーを始め、
才能やセンスを見出してくれる
コーチと出会い、自分のチカラを
発揮するようになってきた。

高校選びは、ラグビーの「監督」で選んだほどだ。

部活自体は強くなかったけど、
指導者で選んだのだ。

学校としては弱いかもしれないけど、
良い指導が受けられるのではないか
と思って選んだ。

高校時代。

予備校に通うようになって、
ここでもおもしろい先生との出会いがたくさんあった。

成績ではなく、
人間全体で評価してくれる先生との出会いだ。

ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を
すすめられて哲学にも興味を持つようになった。

要所要所でおもしろい先生、
指導者と出会っていった。

才能を開花させてくれる
先生たちとの出会いだった。

911。

深い悲しみを感じる。

しょーもない、もったいない。

なぜ、人間はしょーもないことをするのか、
ということが不思議で知りたくなった。

そして、、、

大学は、哲学を土台にした平和研究をしたくて選んだ。

大学2年、3年、、、
20歳、21歳のとき、起業。

日本一課題の大変という大学からの課題を毎日こなし、
予備校講師としてたくさんの授業を受け持ち、
起業の準備を進めた。

睡眠時間は毎日2〜3時間。

固形物は週に2〜3回しか口にしなかった。

追い込みすぎて、
実際に、何度か倒れたこともあった。

起業するにあたって、
予備校の講師をしているときに、
一番ショックだった出来事が
きっかけになった。

生徒に何を解らせることではなく、

解った気にさせることが大事だ

と予備校側に言われた。

解った気にさせれば
クレームにならないからだ。

これがきっかけになり、
自分の理想となる教育機関をつくろう
と決めて起業をした。

ネットで調べていたら、
とある海外のニュース記事を見つかった。

マイクロカンパニーが経済を支えている
という記事だった。

興味を持ち、調べ始めて
個人で起業する方法を
海外から取り寄せて学んだ。

それから、、、

自分独自のコミュニティをつくり、
「教育」事業を展開していく。

厳しい母親に自主性を育まれ、
良い先生、指導者との出会い、
評価によって今のスタイルが出来上がっていった
教育者のインタビューを明日、公開しよう。

お楽しみに。

島田晋輔



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コメント

    • Slow Man
    • 2015年 11月 16日

    とうとう出るべき人が出られますね。
    楽しみにしておきます。

    • 前半、後半ともに他ではなかなか聞けない貴重な内容かと。

      お楽しみにー!

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