Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

「必要十分」な世界

・全人類がもし、必要十分な財産しか持つことができなかったら、人の一生(=生き方)は、どのようなものになるのか?
・そのような社会は、より安定するのか、不安定化するのか?

これは今回の木坂さんの西洋思想史セミナーの最後のまとめであり、
次回までに考えてくる宿題。

ユダヤ人は、なぜ差別されるようになったのだろうか?

というワークもあった。

ユダヤ人は差別され忌み嫌われていた職業にしか
つけなかった。

その代表が「金貸し」で、その事実が
差別に拍車をかけた。

西洋の伝統として、
古代ギリシャ的なものでいえば、
プラトンは無私無欲な哲人が政治を行うべきという
理想論者だし、アリストテレスは「中庸」を説く。

必要な分だけもてばいいじゃない、と。

ユダヤ、キリスト教的なものも、
一貫して金儲けには否定的。

特に利子で稼ぐ金貸しは徹底的に否定されたという。

金貸しは、、、

額に汗することでパンを手に入れる

という教えに反している、と。

彼らが売っているものは時間だが、
時間は神のものであるから、
彼らはなになにひとつ自分のものを売らずに
利益だけ手にしている泥棒だとか、
農夫は自分の家畜を日曜にはちゃんと休ませるけど、
金貸しは日曜も利益を得ている、、、とか。。

いちゃもんっぽい感じだけど、
額に汗しないことを悪いこととされていた。

ライブドアのホリエモンの話もでたけど、
彼のときも同じように汗もかかずに稼いで〜みたいな
批判がでていたって話がでて、
もしかしたら洋の東西を問わず、
ひとつの真理なのかもしれないね、という
話しになった。

で、キリスト教的なものと
アリストテレス的なものを統合しようとした
トマスアクィナスは、、、

利益が多すぎなければ金儲けは認められる

とした。

では、

「必要に迫られて盗みを働くことは合法か否か?」

ということに対して、トマスは、、、

これは神の名のもとに合法とされる

ロジックはこう。

たとえば、必要な分の利益を1万円としたとき、
もし10万円をもっていたら、9万円よけいにもっているということになる。

その9万円は持つべき人のもので、誰かが不足していることになる。

だから、その9万円を奪い、分配することは合法だ
というロジックだと説明してくれた。

不当に蓄財している人から
貧しい人に分ける、
本来あるべきところに戻す
というもので、これは昔から
国境を超えていろんな話があるよね、と。

鼠小僧みたいに悪者からお金を奪って配る、
みたいなのはよくあるモチーフだと。

そういえば、小野さんがはじめて海外でスリにあった
という話をしてくれて、そのことを思い出した。

タイで15万円盗られたらしいけど、
それは小野さんが持ちすぎていたから
正しいところに分配された、
戻っていったのではないか、と。

もし、その15万円が小野さんのではなく
他のひとだとしても、その盗人が正しい所持者なのかなあ
という話では、その人かどうかはわからないけど、
最終的にはきちんと持ち主に帰るんでは
ってことだった。

この感覚は僕はわりとしっくりいって。

お金だけじゃなく物も人もいっしょだと思っていて、
今の人生で必要なもの今、関わらなくてはいけない人は
手元に残って、そうでない物やお金、人は離れていく。

物を失くしたときも
いま、必要じゃないからないんだな
と思ってあんまり必死に探したりしない、
もし自分に必要だったら帰ってくるだろう、、と。

アリストテレスの中庸。

必要十分なだけ残ってる。

逆にいえば、お金や物や人がないのは
不必要だから。

今はすのステージだと教えてくれているのだと思う。

さて、そのうえで冒頭のこちら、、、

・全人類がもし、必要十分な財産しか持つことができなかったら、人の一生(=生き方)は、どのようなものになるのか?
・そのような社会は、より安定するのか、不安定化するのか?

社会としてはどうだろう?

より安定する?

あなたはどう思う?

では、今日はこのへんで。

島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、



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