Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

無根拠である不安

思想史セミナーその0。

ずっと書き連ねてきたけど、
今日で最後にしよう。

昨日の話はハイデガーの思想を引用しつつ
二重性の中で生きているから
僕たち人間は病んでいくというものだった。

この流れで、セミナーの中であった問い。

「本来の自分」と「演じられた自分」の一体
どちらが実際に存在しているのだろうか?

というもの。

あなたはどう思う?

「本来の自分」だけが存在している?

「演じられた自分」だけが存在している?

それともどちらも存在している?

どちらも存在していない?

では、、、

なぜ、存在していると言えるのだろうか?

実は、なぜ存在しているかは
答えられない。

「存在の無根拠性」

ここにいるからいるんだよってだけで、
いてもいなくてもいいし、
いないかもしれない。

窓の外を眺めて、
なんでこんなにたくさん在るのだろう
って少女が言ったのは有名な話。

そもそもなくてもいいのだからね。

つまり、無根拠であるがゆえに不安というね。

自分が存在している根拠がない(=ニヒリズム)
というのは、本質的な不安を与える、と。

その不安から逃れる方法に、、、

1.狂う
2.見て見ぬ振りをする
3.打ち勝って乗り越えられる

の3つが紹介された。

存在論的な不安から目をそらして生きていくことを
ハイデガーは「最大のニヒリズム」と呼んだ。

「自分の存在に根拠はない」
という事実を認めないということは、
何かしらの「究極的根拠」があり、
自分を洗脳していくという話があった。

経済的成功、幸せな家庭、国を守る、
神の国の実現、使命、、、

それらは全て存在根拠の「代用品」にすぎない、と。

そして、、、

「狂信的」な状態に陥っていってしまう。

代用品であるから
存在は担保されない。

どんなにお金持ちになっても、
幸せな家庭を築いても、
存在に根拠はないから。

では、いったい僕たちはどうしたらいいのだろう?

狂うでもなく、
見て見ぬ振りをするでもなく、
大切なのは「打ち勝つ」ということ。

存在の無根拠性から目をそらさず、
正面から打ち勝ったときに見えるもの、、、

それは、根拠がないにも関わらず存在している
という奇跡。

刻一刻性

という言葉で紹介された。

瞬間瞬間に生まれては消え、
生まれては消えをしている、、、
これは奇跡だ、と。

3年前の自分と今の自分。

同じ細胞はまったくないのに、
なぜ、同じ自分と実感できるのか、
ということ。

瞬間瞬間に存在しているという
奇跡を実感できるかどうかが
打ち勝つという話だった。

「どこか遠く」の究極根拠ではなく、
足元の「存在」の奇跡。

木坂さんがラジオでもよく言っている
メッセージ。

「絶望から真の人生が始まる」

というもの。

この感覚がないとありもしない
人生を求め続けるから。

瞬間瞬間の奇跡を感じていれば
病んでいるヒマはない、と。

ビジネスもいっしょで、
どんなにノウハウをコレクトしたって、
セミナーに行きまくったって、
本をたくさん読んだって。
究極根拠はどこにもない。

答えはどこにもないのだ。

結局は、足元を固めてじっくりやっていくしかない
ということ。

どこか新しいところへ行こうとしても、
新しい手法を学ぼうとしても
同じことに気づくだろう。

だったら、今あることを投げ出さずに、
目の前のことに全力で取り組むことが
近道になると僕は思う。

不安に負けて弱さに逃げるのか、
不安に打ち勝つのか、
僕たちの耳元でいつも悪魔が囁いている。

思想史セミナーその0はこれで終わり。

来月の思想史セミナーその1も楽しみだね!

ではー。

島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、



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