Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

キー

この前のプーケットでの今井先生のセミナーでのこと。

ノーレジュメ、ノートピック、ノーゴールで行われた
インプロビゼーションセミナー。

即興で組み立てていくこともすごいが、
一番すごいな、と僕が思うのは
キーを瞬時にあわせられるというところ。

タイの空気に、参加者の雰囲気に、
自分の気分に。

賢者舎をスタートさせる前に、
今井先生と渡辺さんと
3人で打ち合わせしてたとき、

「どんなキーでも歌えるからなんでも言ってくれ」

と言ってくれた。

意見も要望もなにもない。

用意された舞台で歌うだけ、
というなんでもこいスタイルは
今井先生のスピーカーとしての自信のあらわれだろう。

もちろんだけど
それを実現させる実力ももっている。

今井裕志という名を捨て、
ワイズマンとして舞台で歌い
ファンを獲得した。

賢者舎も3期まで終えて、
プーケットでセミナー。

なにもないところから、
マルクスの「資本論」を手掛かりに
メッセージを紡いでいく。

そのチューニング力の高さは並ではなく、
参加者が気づいていたかはわからないけど、
このワイルドサイドを歩こうよのブログ、
コンセプトやメッセージにキーをあわせて話してくれた。

「お前がリトマス試験紙だ」

と指名されたフナッティは、
人生で初めて受けるセミナーが今井先生で
しかもタイ。

かっこよく生きろ!
生き様がすべて

といったメッセージを投げかけられたが、
実は、前日のフナッティのウェルカムパーティーで
まったく同じことを僕もフナッティに話していた。

当たり前だけど、僕と今井先生は事前に打ち合わせも
していないし、前日のウェルカムパーティーには
今井先生は出席していない。

でも、隣の席に座るフナッティからの、、、

「いつから今のようなスタイルになったんですか?」
「島田さんのコアバリューはなんですか?」
「ワイルドサイドを歩くってどういう意味ですか?」

といった質問に、

かっこいいか、かっこわるいかだけで選んでいる

といった僕の回答をまるで近くで聞いていたかのような
セミナーを即興で行った今井先生。

もし、今井先生のセミナーを受講することがあったら、
どんなキーでもやり切るスピーキングをみるといいと思う。

ライブでしか体験できないことだから。

では、今日はこのへんで。

島田晋輔

PS)

人生初のタイで人生初のセミナーを受講するフナッティ。

ウェルカムパーティーから今井先生のセミナー、
そして朝までのオールナイトプランニングを体験した
フナッティはどんなものを得たのだろう。

那岐プロで萩焼をプロモーションしていく
ナフッティの2016年は楽しみのひとつ。

PPS)

今日の一曲は「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」から、、、



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コメント

    • MAKIER
    • 2015年 12月 09日

    かっこよく生きよと言われたフナッティの生み出す萩焼をみてみたい、
    使ってみたいですね。
    ワイズマンこと今井さんに、一度、お目にかかっただけですけれど、
    印象深く残っています。
    場所、空気、人、その時、その場で、その人達にチュウー二ングして
    話せるだけ、芯が、ぶれていないのですね。
    此処に賢者の記事を見るだけのバックエンドユーザーですが
    じわじわ身に染みてきているようです。
    そして、それが、島田さんとシンクロしているような気がしています。

    • じわじわ身にしみているようでなによりです。

      ぜひぜひフナッティの萩焼を手にとってくださーい。

      いつかお披露目できるときがくると思います。

    • 佐久間
    • 2015年 12月 10日

    人前でしゃべる機会があったのですが、、まだまだというか、さらにその上の即興でキーを合わせしゃべるというのは、さすがですね。
    かっこいいか。かっこ悪いか。この判断基準がかっこいいですね。

    • やってみて初めて凄みがわかることってありますからね。

      キーをあわせられるというのは、つまり、チューニングできる耳をもっているということです。

      まず、そもそも耳が悪い場合がほとんどですからね。

      「歌う」というアウトプットの問題の前に、まずは不協和音に気づく耳を養っていきたいですね。

        • 佐久間
        • 2015年 12月 11日

        なるほどです。そこですね。まず人の話を聞くこと。ですね。

    • Slow Man
    • 2015年 12月 11日

    前に書き込んだと思っていたら
    消えていたようで、
    性懲りも無く二度目の投稿しようと
    思った時にふと湧いたのが
    「カッコよく生きる」という定義は
    大量行動をし続けた後にしか
    できないのではないか?
    という疑問。
    カッコ良く、には程遠いですが
    一歩半歩進むことに一寸の進歩が
    あることを信じたいと思っています。

    • そうですね。

      大量行動というか、どれだけ追い込んだかっていうのは滲み出るように思えますね。

      生き方が顔にでる、、そして雰囲気やオーラとして生き様が見えてくるのでしょうね。

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