Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

「もう一回ビール飲みに行きますか?」

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智頭合宿参加者から
続々と感想が届いていますので、
今日もシェアいたします。

今日は小野さんのブログにも登場した
マイナス4700万円の男こと
後藤伸正さんです。

マイナス4700万円にまで
膨れ上がったお父さんの八百屋をたたみ、
今はプロモーターとして活躍されている
後藤さんの感想はこちら、、、

両極、圏外、腹いっぱい

島田さんへ

後藤伸正です。

2泊3日の智頭合宿では
貴重な体験をさせて頂き
本当にありがとうございました。

内容があまりにも濃かったので、
何から書こうかな〜と考えながら
高松の実家でのんびりと書いています。

まず最初に感動したことは、
廃校になった小学校の教室。

独特の雰囲気や木の匂いで
ちょっと懐かしい感覚になりました。

いつもブログで見ていた教室は
時間をゆっくりと感じられる場所で、

 “よし、この3日間は仕事をしないゾ”

と、他の人にとっては
どうでもいい決断をして椅子に座りました。

正直、最初はちょっと緊張していましたし、
他のメンバーさんも緊張していたと思います。

そのせいか、自己紹介や島田さんへの質問も
当たり障りのない表面的なものだった気がします。
(ちなみに僕は質問すらできませんでした…)

そんな硬い空気の中、校舎の隣にある
タルマーリーでハンバーガーとピザを。

ハンバーガーに挟んである具が
“野菜のみ”というのに驚はきましたが、

すべての野菜から甘みを感じるというか、
噛めば噛むほど自然そのものの味を感じました。
(前職が八百屋なのでわかります)

タルマーリーのビールも初めての味で
初日から早速ほんのり酔ってしまい、
この後のディスカッション大丈夫かな?

なんて思いながら、けっこういい気分でした。

案の定、その後のディスカッションは
みんな眠そうな感じでしたよね(笑)

正直に言うと、
ここだけの話(になってないかもしれませんが)

あのとき島田さんが

「もう一回ビール飲みに行きますか?」

という言葉には救われました。。

そして、二度目のタルマーリーは
外のベンチに座ってディスカッション。

【自分が一番大切にしているもの・こと】

というテーマで、
島田さんがメンバー全員の話を
引き出してくださったというか、

すごくいい流れでそれぞれの価値観が
共有できた時間になりました。

最後に島田さんが言っていた

「3番目に大事なものが本当に大事なもの」

という話には驚きました。

あ〜確かに、、、という感じ。

そして、初日の夜は
幸田さんの出張手作り料理。

そもそもこのグループ自体が、

「初めての体験をして自分の器を広げましょう」

といったテーマですし、

料理を作る人や料理そのものからも
コア・バリューを感じ取ってほしいと
小野さん自身も言っていたので、

やっぱり幸田さんも
スゴく個性的な方という印象でした。

ご自身で家まで建てると聞いた時は、
冗談でしょ?と思いましたが、

どうやら話を聞くと本当らしく
いや〜、スゴい人がいるもんだな〜!と感動。

自給自足の原点とでも言えるような
なんか、、、そんな感じでした。

イノシシ肉も久しぶりに食べましたが、
濃厚でパワーが付きそうな味。

噛みごたえもあったので、

「男なら、黙ってイノシシ肉!」

みたいな。
あ、スベってますね、すみません。

というか、今回の合宿ですが、
とにかく食べる量が半端じゃなかったです。

その他大勢の逆を行くと考えると、
食べ続けることに意味があるはずなので、
進めて頂いたものに関しては全て食べました。

その結果、合宿参加前に比べて
2キロくらい太っている状態です。

ただ、敢えて
食べる量を減らすという選択ではなく、

あれくらい食べられるくらい
運動するという選択をすることにしました。
(勝手にしろって感じですがw)

話が脱線しました、すみません。

2日目、一発目は「みたき園」。

個人的にはかなり印象深い場所になりました。

その理由は、やっぱり女将さんですね。

とても可愛らしい方で、
祖母を思い出してしまいました。

みたき園の女将さんの話は
とても深いというか、

僕自身いろいろと考えさせられる
人生の深みみたいなものを感じました。

中でも印象的だったのが、

「苦しい時ほど顔に出さない」

という町長さんにまつわる言葉。

僕自身、少し大変な時期があったので、
女将さんからその言葉を聞いた時、

当時の事を思い出してしまい
ちょっとウルッと来てしまいました。

・家族のあるべき姿
・みたき園への想い
・女将さんの背景

など、短い時間でしたが
とても深い学びが得られました。

みたき園は、次の機会に
行きたい場所No.1かもしれません。

その日のお昼からは
楽しみにしていた植樹イベント。

こういう経験ってなかなか出来ないので、
個人的には凄く楽しい時間になりました。

普段、身体を動かしていないので
地元のおじさんたちのパワーには
圧倒されっぱなしでした。

しかも、ビーコンチームは
一番人数が多かったにも関わらず、

女性2人組みのグループに比べて
半分以下の作業スピード。。

パソコンばっかり触ってると
こういう結果になるんだなと痛感(笑)

とは言え、
柵の取り付け作業も体験させてもらい
久々のアウトドアを楽しませて頂きました。

成長した桜を見られる日が楽しみです。

その日の夜は、「元湯」で温泉とスペアリブ。

個人的な理由もあって、温泉には
入れませんでしたが(笑)城ドラも始められて
ビールとスペアリブでお腹いっぱい。

現在「城ドラ」は城レベル6くらいになりました。

他の方のレベルが高すぎるので
早く追いつけるようにしますね。

元湯では、小野さんから

「ここは営業時間が22時までで
子供の生活リズムに合わせてるんですよ〜」

と、コア・バリューの話も聞きながら
ゆったりとした時間を過ごすことができました。

そして、その日は合宿最後の夜。

相変わらず寒暖差が激しく
朝と夜は震える寒さだったのですが、

島田さんが智頭に住んでいる理由って、
僕なりの解釈ですが、

・両極を感じられる
・電波が飛ばない
・自分の時間を生み出せる

こんな感じなのかな?と思っていました。

最終日にチラッと話されていたので、

 “やっぱりそうか!”

という部分もありましたが、
それって大事なことだな〜って
今回の合宿を通して感じました。

というか、岡山駅に到着した瞬間、
これが同じ日本なのか?と思うくらい
環境があまりにも違いすぎたので。。

さて、最終日です。

前日の夜に小野さんから、
2日間の体験から感じたままを
ビフォー・アフターで話しましょう!と。

僕は自分で何を話したか
正直ハッキリ覚えていませんが、

僕の過去や、大切な家族について
全部吐き出すことができたので、

スッキリしたのはもちろんですが、
自分が大事にしたいものも含めて
2泊3日の合宿で整理できたような気がします。

他のメンバーさんの中には
号泣していた方もいたので、

なんというか、
人が変化する瞬間を一緒に過ごすのって
いいもんだな〜と思いました。

その人の歴史が変わる瞬間ですからね。

ある意味、「その時歴史が動いた!」ですね。

またスベってますが。

最後に島田さんが僕に言ってくださった

「後藤さんは真面目で寂しがり屋」

という言葉は
本当に的を射ているというか、

幼い頃の行動もその言葉ですべて
つじつまが合うんですよね。

なので、合宿から戻ってすぐに、

 「俺は寂しがりだから」

と、恥ずかしがらずに言いまくっています。

最終日の「火間土」では、
ご飯を3杯とお味噌汁を2杯。
(5杯食べた人もいましたがw)

隣に座っていた
わらしべタクシードライバーの
デニーロさんが、

「日本人でよかった!」

と言っていましたが、
実は僕も同じことを思っていました。

日本の文化を五感で味わえるというか、
都会に住んでいる人は絶対に
感じることができない環境だと思います。

しかも、完全に圏外ですからね(笑)

ご飯3杯の後は、
隣のカフェ「歩とり」でお茶を。

と思いきや、ランチセット!

小野さんからは(カツサンドの話とかで)
なんとなくは聞いていましたが、

 “ 普通なら行かない方向へ敢えて行く ”

これを「胃」で体験しました。

ちょっとした選択肢でも
敢えて逆を行くクセを付けることで、

人生の大事な場面で面白い決断が
できちゃうんじゃないかなと思います。

ということで、
あっという間の2泊3日でしたが、
本当にありがとうございました。

生き方や人生の楽しみ方を
教えてもらった気がします。

是非また遊びに行かせてください。

 ー後藤伸正

PS:

幼い頃の体験とか、家族との絆とか、
今回の合宿を振り返っていると、
ふとこの曲を思い出しました。

僕が過去加入していたバンドの曲でもありますが、
なんとなくしっくり来たので。

MUSHA×KUSHA「メインテーマ」

自分で言うのもアレですが、いい曲です。

ではまた「城ドラ」の方でも
よろしくお願いします。

島田さん、小野さん、ミズホさん、デニーロさん、
日々新さん、ささささん、デスメタルさん、
智頭で関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。

後藤さんにちなんだ今日の一曲をチョイスしようと思ったら
先に自分でピックアップして紹介してくれましたね(笑)

小野さんも言ってましたけど、
後藤さんはガッツがありますね。

口数が少なく声も小さいのですが、
いろいろ経験されてきたのが
雰囲気に滲みでています。

小野さんをモデリングし、
写経もブログ更新も1日も欠かさず
2年間やり続けてるあたりがさすがだな、と。

で、やれば結果出るのは当たり前だな、
と後藤さんをみていて思います。

誰に言われるでもなく
行う日々の鍛錬。

その積み重ねが自信の源泉のひとつではないかと
僕は思っています。

そんな後藤さんが書いてくれた
智頭合宿のブログ記事はこちら

では、今日はこのへんで。

島田晋輔

PS)

親指シフトトレーニング20日目。

取り扱ってるジョンロックの「知性の導き方」の原文自体は
著作権がきれているので、ここで公開するのは問題ないだろう。

ただ、翻訳や出版に関しては曖昧なので、
しっかりと引用元を明記しておこう。

取り扱うのは、ちくま学芸文庫の下川潔氏の訳のもの。

では、さっそく15分のトレーニング開始。

知性の正しい導き方

ジョンロック著
下川潔訳

間違った意見を保持したり、十分な探求なしに知覚され認識された事柄を少しも疑わずに擁護することほど、軽率で賢人の威厳と堅実さにふさわしくないことがあるだろうか。(キケロ「神々の本性について」第一卷)

第一節 はじめに

 人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性です。なるほど私たちは心の諸能力を区別し、あたかも意志が行為の主体であるかのように考えて、最高の指揮権を意志に与えます。しかし実際には、行為主体である人間が、すでに知性のなかに持っている何らかの知識や知識らしきものに基づいて、自分自信を決定し、あれこれの随意的行為を行うのです。誰でも、何らかの行為を始める場合には、自分にとって行為の理由となるような何らかの見解うを必ず持っています。人がどのような能力を用いる場合でも、本人を絶えず導いてゆくのは、とはもかくこの光が、本人のあらゆる活動力を導きます。意志それ自体は、たとえどんなに絶対的で統制不可能のように見えても、知性の命令には必ず服従します。神殿にはそれ特有の神聖な像があり、これが人類の大部分にどれほどの影響力を常に行使してきたかは、私たちの知るところです。しかし、実際には人々の心にある観念や像は、目にみえない力として絶えず心を支配し、いたるところで心をすぐ降伏させてしまいます。したがって、知性の扱いに十分配慮し、知識の追求や判断の形成にあたって知性を正しく導いてゆけるようにしておくことが、最大の関心事になります。
 現在使われている論理学は、諸学芸の研究において心を導く技術として学問の世界で教えられている唯一のものであり、大変長い間そのような地位を占めていました。論理学の規則は、二、三千年ものあいだ学者の世界に奉仕し、学者が欠陥があると不平を言っていたこともないものです。したがって、その規則によって知性を導くのでは十分でない、と疑念を表明すれば、おそらく新奇さをてらっていると思われるでしょう。そういう試みは、かの偉大なヴェルラム卿の権威によって正当化されでもしなければ、虚栄心や思い上がりであるとして避難されるに違いありません。卿は、学問は何世紀も進歩しなかったのだから、過去の過去のあり方を超えてもうこれ以上前進することありえない、という奴隷的な考え方をしませんでした。過去の学問のあり方を、過去においてそうであったという理由で怠惰に是認したり賞讃して満足することもありませんでした。そうではなく、ヴェルラム卿は心を広げて学問のありうべき姿を考えました。論理学に関する著『ノヴム・オルガヌム』の序文で、卿は次のようにはっきり述べています。「論理学にこれほど大きな役割を認めた人々は、知性を規則によって保護せずに、それを働くままにわ放置しておくのが安全でないことを、確かに見事に正しく見抜いていた。しかしながら、この治療法は病を根治することなく、むしろそれが病の一部分になってしまったのである。というのも、用いられたその論理学は、市民生活に
関する事柄や、言論や意見に依存する技術においては十分役立つこともあるかもしれないが、自然の実際の働きの微細さには到底及ばないものだったからである。しかも、手が届かないところにあるものをつかまえようとしたために、それは真理への道を開くことなく、逆に誤謬の追認と固定化を助長してしまったのである」。こう述べた少し後で、卿はその結論を次のように述べています。「心と知性を使用するための、より優れたより完璧な方法を導入することが、ぜひとも必要である」。

第二節 才能

 人々の知性には、明らかに大きな違いがあります。なかには、生来の体のつくりが技術や勤勉では克服できないほどの大きな差を知性に生み出し、他の人たちが容易にできることを達成するだけの基礎を自分の生来の資質の中にもっていないように思われる人たちもいます。平等な教育を受けた人々の間に、才能の大きな不平等があります。また、アテナイの学校だけでなくアメリカの森が、同じ種類の人間の中に異なった能力をもった人々を生み出しています。しかし、たとえ実際にその通りであるとしても、私が想像するに、大部分の人たちは、自分の知性をおざなりにしているために、それぞれ自分なりに到達しうる地点のはるか手前までしか到達していません。この件については、わずかの論理学の規則があれば、最高の改善を目指す人たちにとってそれで十分である、と考えられています。しかし私は、知性には、矯正できるような多くの自然的な欠陥があり、それらが見過ごされ、全くなおざりにされているのだと思います。しかも、容易に看てとれることですが、人々はこの能力を使用し改善するにあたって多くの過ちを犯し、そのために自分の発展を阻害し、無知と誤謬のなかで一生を過ごしています。以下の論述で、私はそれらの過ちのいくつかに注意を向け、適切な治療法を示すつもりです。

第三節 推論

 人々は、確定された観念をもたなかったり、媒介項となる観念を探し出して整然と並べるだけの鋭敏さをもっていなかったり、その訓練を受けていないことがあります。しかし、そのほかに自分の理性に関して、三つの過ちを犯してしまいます。これによって理性という能力は、その役目や目的を果たすことができなくなります。人間一般の言動を反省する人は、この種の欠点がかなり頻繁に観察されることに気づくでしょう。
 1.第一の過ちは、およそ理性的推論などすることもなく、他人の例にならって行動し考える人たちに特有です。そういう人たちは、自分自身の力で考え検討する

今日のトレーニングはここまで!

この公開トレーニングは、これによって何か特別な利益をえようとしたり、
利用したりといったものではなく、自分のコミットメントの純粋な記録として。

すべてのブログ記事に言えることだが、
誰かを不快にさせようとか、
悪意があるものはひとつもないので、
ここに強調して明記しておく。



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