Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

四季が訪れず、厳しい冬が三度続いた

世界も宇宙も滅亡するラグナロク。

北欧神話に明るい人なら
ご存知の通り「世界の終末の日」とされるのが
ラグナロクだ。

「神々の運命」や「神々の黄昏」
と訳されることが多い。

ノルウェーやアイスランドに伝えられた
「エッダ」や「サガ」と呼ばれる物語と、
デンマークの「デーン人の事跡」の説話を
もとにしたものを一般的に
北欧神話と呼ばれることが多いが、
ベースにあるのは終末論。

出会いがあるということは
必ず別れがあるように、
僕らは生まれた時から
死が約束されている。

四季が訪れず、厳しい冬が三度続いた

とあるように厳しい環境が長く続いた結果、
そこに住む人々の信仰やモラルが崩れ去り、
つまり「救済」的な何かはどこからも訪れなく、
「終末」を必然のものとして受け入れざるを得なかった
とされている。

終末を迎え、全てなくなり、
だからこそ生まれる。

破壊と再生。

キリスト教にもハルマゲドンや
最後の審判があるように
終わりは重要な概念があるが、
こちらは終わりからの「救済」
というアプローチをとる。

ヒンズー教にも破壊の神シヴァが
終末期のカリユガに訪れるとされていたり、
仏教にも末法思想があり、
平安時代後期は末法時代なんて
呼ばれてもいたりもしていて、
受け入れるのか、救っていくのかは
様々だが世界各地に「終わり」の概念を
学ぶことができる。

「終わり」というのは、
宗教や文化、歴史、時空間を超えての
普遍的な真理のひとつだろう。

北欧神話をモチーフにしている
という説もある進撃の巨人でも
終わらせるセリフがあり、
ミステリー漫画のルートエンドも
終わらせるんだ、終わるんだ
というセリフが度々登場する。
(エンドに向かうルートというタイトルだしね)

終わりを思い描くことから始める
というのは仕事でも人生でも
大切な考え方で、この考えが希薄だと
だらだらと延命をしたり、
延命という名の問題先送りをしたり
ただ目の前の問題処理をするだけ
になったりしてしまう。

まだやれると思いたい気もわかるが、
タオルを投げ入れてやることも
大切な優しさであり、
救済だけが答えではない。

支援をする立場として
相談に乗ったり、アドバイスをしたりするとき、
僕はこの間で揺れるときがある。

目の前の問題を解決して救済していくのか、
その問題を「厳しい冬が三度続いた」として
終わりの必然を伝えるのか。

安易な延命は痛みや苦しみを大きくするだけであり
再起の機会すら奪う。

一方、もう少し頑張れば峠を超えることもある。

命を預かる医師のように
目の前の人の人生に影響を与える立場を自覚して
選択し続けねばならない。

「もう少しがんばれ」と声をかけるのか
「おつかれさま」と諭すのか。


島田晋輔

PS)

神々の黄昏といえばこの曲で、、、



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