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レッド・スパローに手塚治虫と進撃の巨人をみた

「2人の関係性は常に変化しているの。というのは、自分が相手を騙そうとしているのに、相手が自分を騙そうとしていないと思うからよ。そのせいで、2人はお互いに対して信頼の気持ちを感じながらも、常に、国際的なスパイの世界に生きる身につきまとうパラノイアとの間で揺れ動いているの。」

ジェニファー・ローレンス(ドミニカ・エロノワ)インタビューより


城ドラを引退したからか
今まで以上にハイペースで
映画館に足を運んでいます。

映画フリークというわけではないのですが、
大きな意味で時代感を捉える意味合いと
定期的なリフレッシュも兼ねて。

なので、観たい映画があって
観にいくというよりは
ルーチンとして足を運んでる感じですね。

つい先日、
かんちゃんもメルマガ&ブログに
取り上げていましたが、
僕も「レッド・スパロー」を観てきました。

ロシアンスパイ映画ですが、
派手なアクションシーンはありません。

R15指定されていますが、
R18でもいいのではないかと思うほど
なかなか強烈な暴力シーン&性描写が多数あります。

オフィシャルサイトから
ストーリーを引用しましょう。

ステージでの大ケガによって、ボリショイ・バレエ団での地位を失ったドミニカ・エゴロワ。そんな彼女に手を差し伸べたのは、ロシア情報庁の幹部である叔父のワーニャだった。病気の母親の治療費を工面するため、ドミニカはワーニャの指示で、スパイ=〈スパロー〉の養成学校へ送られる。標的を誘惑し、心理操作するテクニックを学んだドミニカは、その才能を買われ、ロシア情報庁の上層部に潜む、アメリカとの内通者を探り出す任務を任されることになった。モスクワからブダペストへ動いたCIA捜査官、ネイト・ナッシュに接触したドミニカは、彼から内通者の正体を聞き出そうとする。ハニートラップでネイトの心をとかしていくドミニカ。しかし二人の関係は立場を超えた複雑なものになっていく。そして、その任務はドミニカを想像も超える運命に導き、彼女は敵国アメリカのみならず、祖国ロシアからも狙われることに…。窮地に立たされたドミニカが大国を相手に仕掛けた最大のトラップ=罠とは!?


タイトルにあるように、
僕はこの映画に手塚治虫と進撃の巨人を
感じました。

進撃の巨人を手塚治虫に内包する人からしたら
ナンセンスかもしれませんが、
今回は同じ階層でまとめさせてもらいます。

SNSやケータイなど出てくるので、
時代設定は現代です。

米露両国とのスパイ映画というと
イデオロギーを感じる人もいるかもしれませんが、
もっと個別的なもの、、、
個人にフォーカスした作品だと僕は解釈しました。

ドミニカを軸とした個人の描写ですね。
(他のキャラの目線でみてもおもしろいですが)

テーマは現代っぽく「自由の獲得」だと感じました。

もう少し言うと「非物理的自由の獲得」だと
僕は解釈しています(一見すると物理的自由の獲得のように見えますが)。

主人公のドミニカはケガでバレエダンサーとして
地位を失い病気の母の面倒がみれなくなります。

ボリショイ・バレエ団を通じて
国家の支援があり、生活できていたからです。

つまり生まれながらにして
(ストーリースタートから)
物理的な不自由さはありました。

国家の枠組み、社会に守られていたからです。

バレエダンサーとして地位を失ってから
(失わせられてから)さらに不自由になっていきます。

情報庁の幹部である叔父さんによって
スパロー(スパイ)の養成学校に行かざるを得ない
状況になり、人間としての尊厳も貶されます。

父もいなくて、頼る存在もいない状況で
選択肢がなかったという自由の制限の表現も
なんとも現代的です。

自分で選択していったのではなく
(究極的には自分で選択しているのですが)
そうせざるを得なかったというのは
進撃の巨人のエレンやライナーに
通じるように思いました。

仕方なかったってやつですね。

ちょうどグレートジャーニーの4月のミーティングで、

「生まれながらにして父も母も日本人だし、
周りも日本人しかいないから
日本人とは何か、不思議に思うことなかった」


と言う興味深い意見ともシンクロします。

それが当たり前で普通だから疑うことはない。

エレンやアルミンたちは生まれながらにして
壁に囲まれて暮らしており、
壁の外にいる巨人たちが人間を食べるので
壁の外=危険、巨人=悪と自然になっていたように、
始めから僕たちは知らず知らずに
何かに支配されています。

支配されている感覚はないかもしれませんが
当たり前と思っているそれですね。

疑うことなく、そういうものだと思っているのです。

進撃の巨人のストーリーが進んでいくといろんな真実が
明らかになっていくように、僕らも人生の中で
いろんな真実に出会います。

疑うことなかったことや
当たり前に疑問を持つこともあります。

必要に選択を迫られるときもあるでしょう。

レッド・スパローの主人公ドミニカに自分を重ねて観ると
思うのですが自由の獲得のために同じように
選択できたかと言うとなかなか疑問です。

トラップの掛け合いでロシアにつくのか
アメリカにつくのか最後までわかりませんでしたが、
映画のテーマを押さえていたら自然でした。

レッドスパローのラストをハッピーエンドととるのか
バッドエンドととるのか意見は別れるようです。

わかりやすくみたら物理的自由を獲得し
ハッピーエンドなのでしょうが、
最後の一曲で非物理的自由を感じさせ、
どこまでいっても自由になれない
と言うシニカルなメッセージにも感じます。

手塚治虫の「アドルフに告ぐ」をどう解釈するのかにも
似ているように思いますが、個人でどうすることもできない
大きな枠組みや時代の支配を感じる場面がたくさん出てきます。

「アドルフに告ぐ」は旧ソ連バリバリの時代背景ですから
過酷な拷問も出てきます。

レッドスパローの拷問シーンは
ssや特高警察の拷問を彷彿とさせました。

手塚治虫の「ムウ」で描かれる性の不自由さ(奔放さ)は
レッドスパローにも通じるものです。

どちらもハニートラップを仕掛けていきますしね。
(ムウの場合、主人公は男ですが男にも色仕掛けしていきます)

手塚治虫も社会の枠組みから人間の尊厳を
テーマにした作品を多数描いていますが。
もうすぐ始まるインプットクラスでかつて扱っていた
オルテガの「大衆の叛逆」がナチスの必読書だった
と言うのもなんとも因果なものです。

そのオルテガが警鐘した社会枠組みから離脱できない恐ろしさは
まさにレッドスパローや手塚作品、進撃の巨人でも見事に描かれています。

自分の運命に従い信念を持って行動しているようでも
実は大きな枠組みの中で動いているに過ぎなかった
というのはなんとも皮肉なものですが、
アーレントの言うようにいつでも始める自由を持つと
というのは僕ら人間に残された最後の人間らしさかもしれません。

激しい表現に目を背けたくなるような作品ですが、
お時間あればぜひ映画館でスパローの人生を
味わってみてはどうでしょう。

では、今日はこの辺で。

また明日。


島田晋輔

PS)

それでは、予告のPVを。




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