Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

違和感に蓋をしない

旭川でのグレートジャーニープライベートセッションでのこと。

年に4回のプライベートセッションの最終回ということで
ホテルの中華レストランの個室を予約してもらったので、
ディナーを楽しみながらゆったりと過ごす。

年間通して、最後のセッション。

ラストメッセージは、
小野さんの一言が印象的だった。

違和感に蓋をしない

大きな声で強調する小野さん。

グレートジャーニーのような体験型のものは、
そのときは楽しいし、良さも実感できる。

でも、日常に戻るとその感覚も
薄れていってしまって、
思い出すらなくなる、と。

あのとき、ああいう体験したなあ
あれは楽しかったな
よい時間を過ごせた
と思い出すことすらなくなって
なくなってしまう、
なかったことにしてしまうものだ、
と小野さんは持論を展開する。

だから、体験している心地よさを
継続するためにも、
人生が良い方向に向かっているなら、
自分にとって良い時間を過ごしているなら
継続していくべきだ、
日常に戻っていく違和感に蓋をしないことが
大切だといった話。

要するに、、、

全てを無意味にしないために
そっちに戻っていくんじゃねぇ!


ってことが言いたいらしいのだけど、
僕にはここまでラディカルな発言はできない。

だけど、考え方は概ね同意で、
どんなによいものであっても、
そのときよかったらそれでいいじゃん
っていうその場限りなのは少し残念に思う。

若いときは瞬間瞬間を楽しむような感じでも
いいのかもしれないけど、
もっとつながるような
積み上がっていくようなことに
だんだんとシフトしていった。

やっぱり単純にもったいないと思うしね。

せっかく良い方向にいっていたのに、
元に戻ってしまった人を
たくさん知っている。

どこで誰といっしょに過ごすのか、
どんな風に有限な自分の時間と命を使うのか、
それで人生というのは大きく変わっていく。

もちろん正解はないのだろうけど、
違和感があったらそっちに進むべきではない、と。

ただ、違和感あるからやめておこう
みたいに単に目の前のことから
逃げているだけってこともあるので、
良くない違和感なのか、
自分を成長させてくれるディスプリンなのかは
見極めが大切。

僕個人がポイントにしているのは、
どんなに多くの人が大きな声で発言しても、
その人たちが自分の目指す世界の住人でなかったら
意見はあまり聞き入れないようにするということ。

たとえば、起業なんてうまくいきっこないよ
と独立しようとしている同僚にサラリーマンが言う。

これは独立していないサラリーマンたちが
声を大きくしてただ言っているだけなので、
説得力がないと僕は思っている。

場の空気を読んで、
ああそうだよね、と
同僚の意見に流されてしまいがちだけど、
そのとき、胸の中ではうっと違和感が
込み上げてきているはずだ。

小野さんはそういった違和感に蓋をしないこと
というのを言っている。

うまくいきっこないよ、
やめときなよ、
と周りは止めるだろう。

そこに根拠と信頼性があればいいけど、
空気に流されたり、盲目的に信じてはいけない。

木坂さんなんかが食べログやミシュランの評価を
全く信用していないのも同じ理屈だと思う。

「だって、評価しているやつらの舌が信用できないじゃん」

って。

確かにそうだよね。

必ずそこには小さいかもしれないから
違和感があるから蓋をせずに、
自分の感覚を大切にした方がいいと
僕も思っている。

これを食べたいなら
これを食べたらいい。

この人といっしょにいたければ
この人といっしょにいたらいい。

そこに行きたいのならば
行けばいい。

時間も命も有限だからね。

違和感を大切に。

では、また明日。


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、



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