Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

泥と星

二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。 ひとりは泥を見た。 ひとりは星を見た。

オスカーワイルド


フランクルの「夜と霧」。

事実の報告ではない。

体験記だ。

と、冒頭にあるようにアウシュビッツでの
体験がリアルな言葉で綴られている。

そこは僕らの想像を絶する世界だとは思うが
それでもフランクルは希望を捨てなかった。

普通だったら心折れるし、
愚痴というより恨みつらみを
言いたくもなるだろうけど、
そういうことではない。

フランクルは泥ではなく
星をみていたのだ。

彼はアドラーと活動を共にしていた
時期もあるらしく、お互いに影響しあってるのではないか
という意見もあり。

確かに「嫌われる勇気」に通ずるものはある。

今、目の前にある状況をどう捉えているのかは自分自身。

良くも悪くもしているのは、
自分の色眼鏡によるもの。

解釈とも言える。

仕事でもプライベートでも
いろんなことが日々おこる。

中には自分では望ましく思っていないことも。

それをどう捉えているのか
自分自身で、どう選択しているのかも
誰のせいでもなく自分。

フランクルの体験談は
7つの習慣でも取り上げられている。

アドラーやフランクルの書籍は
読んだことなくても
「7つの習慣」だったら
馴染み深い人も多いだろう。

たとえば、第一の習慣である

主体性を発揮する

ということ。

コヴィー博士は、主体性を持つことを、、、

「人間として自分の人生に対して自ら選択し、自ら責任をとるということ」

と定義している。

この定義からすると、
自分は主体性を持っていると
言えるだろうか。

自分の人生を自ら選択し、
自ら責任をとっていると
思っているだろうか。

プライベートセッションでロイスは
こう例えて言った。

「頭に銃を突きつけられて動くな!と言われても動くか動かないかを決めているのは自分自身。」

誰かに言われても強制されていたとしても、
最後の最後で決めているのは自分。

このマインドセットさえできていれば、
会社や仕事のせいにしたり、
家族や友人、知人、お客さんのせいにしたり、
時間がない、忙しいなどの言い訳がなくなるはず。

この主体性の考えについて
よくわかりません、、と言う人が
たまにいるけど、実際には

理解はできるけど、
実践はできない


というほうが正確だろう。

誰かや何かのせいにしたいから。

責任を自分で取らずに
逃げ道をつくっておきたいから。

だから、アドラーやフランクルの考えを
採用したくないという立場。

愚痴や不平不満、言い訳などを
している人をみるといつも思う。

大切なのは「7つの習慣」の中で
この主体性を発揮することが
第1の習慣にされているということ。

ここがスタートなのだ。

まずはここから。

主体性を発揮しよう。

でないと、次の物語へ進めない。

あなたは泥をみる?

星をみる?


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、









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