Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

なぜ、善く生きるのか?

歴史学&地政学講座の最終回の続き。

今までの流れを踏まえて、

なぜ、善く生きるのか?

という話に。

答えはシンプルで、、、

それが「自然」だから。

そして、善く生きている方が成功するから。

ここで、、、

では、なぜ善く生きている人が
成功するのか?


という問いに。

木坂さんがバックボーンにしている
アリストテレスを引き合いに進めていく。

アリストテレスによれば、
二種類の生がある。

可能態と現実態の2つ。

重要なのは後者で、、、

自らの卓越性を世界に対して発揮してこそ価値が生まれる


というもの。

「ポテンシャル」を持っていることそれ自体は、
価値として不十分。

やればできる!
はあんまり意味なくて、
なにを成してきたのか。

なにを体現しているのか、
ということの方が大切だということ。

全ての生には個別性がある。

であるから、個別性を高めるように
善く生きよ、と。

「普遍的な善」のようなものは、
ひとまず探求しなくてよいと
アリストテレスは言う。

教師には教師の、
バイオリン弾きにはバイオリン弾きの、
主婦には主婦の善がある。

それをそれぞれが追求すること=卓越性+現実態

だということ。

バイオリニストが普遍的な善を考えている暇あったら
バイオリンの練習しろ!


ってこと。

そのため、、、

全てにおいて等しく厳密さを求めるべきではない

ということ。

その「善」に固有の厳密さが存在するから。

大工と幾何学者の例もでて、
一見、同じものを求めたとしても
実際には異なるものを
求めているのだと例えてくれた。

ジムの伝統の話をしてくれて、
ひとりでトレーニングをしていると、
ムキムキの人が教えてくれたりするというもの。

フルレンジでやれとか、
おしりとかかとをつけてストレッチやれとか。

これは善意の押し売り。

同じことをやっていても、
求めている結果は違うこともあるから。

もしかして、長距離選手で
筋肉をつけたくないのかもしれなかったりとかね。

だから、大切なのは、
普遍的な厳密さではなくて、

その善=卓越性に要求される厳密さを徹底して求めていく

ということ。

ダルビッシュが上半身のトレーニングで
ディップスをおすすめしている
という話もあって。

肩に負担のかかるトレーニングだから、
ピッチャーであるダルビッシュにとっては
リスキーに木坂さんは感じるのだそう。

卓越性を磨いていくという意味では遠回りではないか、と。

卓越性って言葉に惑わされないでほしいのだけど、
要するに、、、

求められている厳密さを徹底していく!

ということ。

相談に乗っていたり、
プロジェクトでチームで動いていたりするときに
僕がよくする質問。

それって、
**さんがやる意味あるんですか?


ということ。

我を外せないと周りから求められていないことにまで
手を出してしまったりする。

ジムのトレーナーの善意の押し売りみたいに、
良かれと思ってやっているつもりでも、
卓越性という観点からは
マイナスに働くこともある。

よく考えてほしい。

今やっていることは周りから求められていること?

そうであるならば、卓越性の追求になるだろうし、
そうでないならば満たされない欲求を満たしている
自己承認や自己顕示欲のための活動になるだろう。

大衆の特徴のひとつに自分の範囲を超えて
手を出してくるというのがある。

オルテガは芸術や政治で例えていたかな。

越権行為じゃないけど、
それあなたがやる必要ある?
そこ口だすところかな?みたいな。

それぞれが卓越性を発揮して
求められていることをやっていけば、
役割を全うできるはず。

やらないことをしっかり決めて、
やるべきことにフォーカスする。


会社の事業という視点からも
個人の人生の観点からも
いろいろあてはまる。

今日も長くなってしまったので、
このへんで。

続きはまた明日。


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、




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