Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

広島に生まれ、岡山の高校を出て、東京に行く。

ゼネコンに勤めていた父は
瀬戸大橋をつくるプロジェクトチームの
メンバーのひとりだった。

その父の仕事の関係で、
小さい頃は、転校ばかり。

自然と、ちょっと距離のある
子供時代を過ごすことになった。

そんな生活だからか、
アウトサイダーな気質が芽生え、
高校の頃は、、、

こんなレールの敷かれた上を
歩むなんておもしろくない
と思ってバンド活動を始めた。

進学をすると親に嘘をついて、
上京。

実際は、友達の家を転々としながら、
音楽活動を続ける毎日だった。

22歳になって、
周りが大学卒業しだして、
変わりだしたころ、、、

自分自身を見直すようになって、
就職もしてみる。

音楽以外に打ち込むものを見つけた。

30歳になって、振り返ってみて、
20代のころの自分の甘さが嫌になった。

音楽をやっている自分をどこか褒めていた、
いつか成功できると理想を追いかけている
自分に甘えていた。

ここで自己否定し、アウフヘーベン。

起業をする。

しかも、今まで全くやったことのない業界で
挑戦することにした。

スキルも知識も経験も人脈も
お金も実績もない。

独立してプレゼン資料をつくって、
いきなり家のまわりに飛び込み営業。

100軒ほど回ってやっと、
相手が望んでいることが見えてきて、
アプローチを変えていく。

3ヶ月で初の契約が決まり、
売上がでた。

そこからは上昇スパイラルで
どんどんうまくいった。

社員を10人ほど抱える会社になった。

でも、人をいれたら
人のマネジメントでたいへんになり、
少しずつ社員たちとズレも出始める。

当時、まだ新しかった
「リノベーション」という言葉を掲げ、
業界の未来を先導していこうとした。

だが、しかし。

社員たちにはその理想が共有されず、、、

共有どころか意味も伝わらず、、、

ある日、出勤したら
社員が全員いなくなっていた。

ヤバい、お客さんの仕事をこなさないと。。

社員がいなくなっても、
受けている仕事はまだ残っている。

そこから寝る間もなく、
がむしゃらに働いた。

固い事務所の床で睡眠時間は
たったの1時間。

寝過ごしたらいけないので、
目覚まし時計を
10個もかけていた。

そんな生活も徐々によくなってきて、
手伝ってくれる人もでてきて、
見事、再生させる。

ここで2度目の自己否定。

今までの仕事を全て捨てた。

売上は上がってきたが、
自分の思い描いていたものと違ってきたので、
後任のスタッフに引き継ぎ、
新しい事業を立ち上げた。

また1からのスタートだが、
起業したときから不安は全くない。

今まで自分はがむしゃらにやってきたのだから、
今まで通り自分の思うことを全力でやればいい。

自分への静かな確信があった。

自己否定した先の新規事業はうまくいき、
今では業界を代表するほどの会社になった。

自分不在でも回る会社の仕組みもできてきて、
まだまだ自分はできるとチャレンジし続けている。

そんな40代経営者のインタビューを
明日、公開する。

お楽しみに!

島田晋輔



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