Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

障害か個性か

森の幼稚園の保護者面談でのこと。

「他の子と差があるってことが悪いわけではなくて、
 個性かと私は思うんです」


という話がでた。

その差を「障害」とみるのか、
「個性」と捉えるかによって
見方も考え方も変わってくる。

誰かと比べたり、
なにかに合わせようとしたりするから、
劣っているとか、不足しているとか
見がちになる。

できないことができるようになる
ことの良さも意味もあるのだろうけど、
その差を埋めようとすることによって
大切な何かを失っているような気も
個人的にはする。

まわりと同じように
できるようになった未来も
その子にとって
輝かしい理想世界なのか、
という疑問も残るしね。

どうしても今まで生きてきた常識だったり
倫理だったり、価値観だったりに
引っ張られて判断してしまうことがあるけど、
本当にその子のためになっているのかは、
誰にもわからない。

言えることは、

自分とは違う人生を歩むことは確かだし、
自分たちが生きてきた時代とは違った時代を
生きることにもなるだろう


ってこと。

だから、僕たちにできるのは

可能性を閉じずに、
環境を整えてあげること


なんじゃないかなって、よく思う。

子育てであっても、
誰かに仕事やビジネスでも
なにかを教えるときであっても。
 
僕たちのように
「言葉」を扱う仕事をしていると、
「言葉」による影響が大きい。

だからこそ、
影響が大きいからこそ、
現象をみて「障害」と捉えるか、
「個性」と捉えて表現するかによって、
見える世界も生き方も
ずいぶん変わってくると思う。

相手を心配するほど、
自分も大した人間ではないという
謙虚な気持ちを持てば、
個性豊かなメンバーと
いっしょに成長していく
楽しみを感じるはずだ。

相手に対してイライラしたり、
がっかりしたりするのは、
自分の価値観は絶対という
傲慢な考えによるものかと。

自戒の意味もこめて。


島田晋輔

PS)

今日は、小児麻痺を患って左半身が不自由だった
イアンデューリーの曲を。


そーいや、ロンドンでウィルコジョンソンのライブみにいったなー。


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  • Slow Man

    この話は、考えさせられるところが多いと先日聴いたときから思っております。

    乙武さんの五体不満足にも記されていましたが、島田さんが言われるとおり
    個人の主観で測っているわけですよね。

    それで良いか悪いかは、その人が決めることでこちらが決めることではない。
    しかし判断のつかない幼子の場合は、その保護者の主観に委ねられてしまう。

    良かれと思うことが果たしてそうなのか?
    保護者のエゴを満たすための手段ではないのか?

    一見、世間の常識からすれば簡単に解決できるだろうと思われることは、実はそうではない可能性があるが
    これは表層を見て語る人たちにはわからない。

    伝えるのも難しい。そんなマイノリティーの内なる声が反映される時空があればと思います。

    • そうなんですよね。

      小さい子ども自らが判断してできるならいいのですが、
      親なり保護者なりが判断しなければならいので
      難しいところですよね。

      それは、コンサルタントや医者、税理士など
      相談にのる立場にある人たちにも言えることですね。

  • 佐久間

    「自分の価値観は絶対という傲慢な考え」
    確かに、、、自分の正義を押し付けているかもですね。
    これはいろいろなことに当てはまりますね。

    • そうですね。

      「正しさ」には花が咲かないですからね。

      ================

      わたしたちが正しい場所


      わたしたちが正しい場所に

      花はぜったい咲かない

      春になっても。

      わたしたちが正しい場所は

      踏みかためられてかたい

      内庭みたいに。

      でも、疑問と愛は

      世界を掘り起こす

      もぐらのように、鋤のように。

      そしてささやき声がきこえる

      廃墟となった家がかつてたっていた場所に。

      ================

  • yamazaru-z

    傲慢というのは、「自分の価値観は絶対という考え」だけではなく「周りの人の気持ちをないがしろにすること」でもあると思います。お互い気をつけたいものです。

    • コメントありがとうございます。

      「傲慢」をどう定義するかですよね。

      「周りの人の気持ちをないがしろにすること」というのはなかなか興味深い視点です。僕のなかでは周りの気持ちをないがしているのは、自分の価値観は絶対だという考えからくるものだと思っているので。

      では、いったいどこまでを「周り」として気持ちを汲み取っていくべきなのか、、、このへんはもう少し深めていきたいところですね。

  • disqus_SJ4DN3LWX9

    >その差を「障害」とみるのか、
    >「個性」と捉えるかによって
    >見方も考え方も変わってくる。
    >
    >誰かと比べたり、
    >なにかに合わせようとしたりするから、
    >劣っているとか、不足しているとか
    >見がちになる。
    >
    >できないことができるようになる
    >ことの良さも意味もあるのだろうけど、
    >その差を埋めようとすることによって
    >大切な何かを失っているような気も
    >個人的にはする。

    定期的に島田さんのブログを読み返す時期がありますが、
    今回のハイライトはこちらでした。

    特にこれは、子供にも大人にも本当に大切ですよね。

    先日ちょうど共感できる出来事があり、
    この記事を読んで考えをブラッシュアップできました。

    ありがとうございます^^

    p.s.
    ひふみくん、卒園おめでとうございますー。
    これからも素敵な毎日を。

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