Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

木坂健宣の教育論

この前のトルストイ読書会でのこと。

休憩時間に、マルヤマさんが

「木坂さんにとって教育ってなんですかね?」

という興味深い問いかけをしていたので、
トマリさんからの差し入れであるクラブハリエの
バームクーヘンを食べながら、
どんな議論になるのか、混ざって聞いてみた。

マルヤマさんの質問の背景にあるのは、
言葉であーしろ、こーしろ言ったり、
やらせたりするのは教育じゃない
っていう木坂さんの話はわかった。

でも、言ったりやらせたりしないと
全くやらない人たち、行動しない人たち
ってたくさんいますよね?ということだ。

じゃあ、木坂さんにとって教育ってなんなんだ?

どう考えているか意見を聞いてみたい
っていう問いかけだった。

この手の質問は珍しくないし、
僕なりの意見もあったので、
どういう対話をするのか、
特に木坂さんがどう応えるのかに
興味が湧いた。

木坂さんの実際の答えはこうだった、、、

「風景になるってことですよ」

無理やりやらせたりもせずに、
特にこちらから指導したり
促したりしない。

相手にとっての風景になるのが
木坂さんなりの教育だ、
ということだった。

さらに、木坂さんはこう続けた、、、

「マルヤマさんのような質問は
 たくさんもらうことがあって、
 この場合って2つの視点が
 混ざっているから混乱すると思うんですよ」


ということだった。

2つの混ざった視点に関しては
ドラクエで例えてわかりやすく説明していた。

ドラクエの勇者は、
スライムを倒しているとき、
目の前のスライムを倒しているだけ。

レベルをあげようとしたり、
次のダンジョンを目指したりはしていない。

勇者からしたら、
ただ淡々とスライムを倒しているだけだ、と。

一方で、ドラクエをやっている
プレイヤー側からしたら、
スライムを倒しているのは、
経験値を積んだり、
ゴールドを貯めるためだったりする。

もっと言えば、世界を征服する魔王バラモスを
倒しにいくためだったりする。

でも、勇者にとっては、
ただ淡々とスライムを倒しているだけ。

この勇者の視点とプレイヤーの視点が
混ざっているから、混乱するのだということだった。

つまり、木坂さんにとっての教育は
勇者がスライムを倒すがごとく、
実際にこうやって来た質問に応えることだ
ということだった。

これが風景になるということ。

ゴールや着地点ありきで
あれこれやるのは教育じゃない
ってことだった(少なくとも木坂さんにとっては)。

わりと白熱した議論になるかと思ったけど、
マルヤマさんは案外すぐにスッキリして
納得されたようだった。

教育というと定義が広いかもしれないけど、
それこそ子どもの教育でも
社員やスタッフの教育でも
言えることだし、、、

ビジネスにおけるお客さんとのリレーションシップを
深めることも教育なんて言ったりもする。

どの教育であっても、
ゴールや結論ありきで、
相手を一定方向に導くことは、
相手の可能性を閉じることになる。

これを「洗脳」と呼ぶ、
と木坂さんは定義しているし、
逆に相手の可能性を広げることを
「教育」と定義している。

相手の可能性を閉じずに
広げておくこと。

これは絶対にうまくいかないよ、
間違っている、これをやるべきだ、
こうやりなさい、、、


などと、ついつい言いたくなるかもしれないが、
それはちっぽけな経験と浅い知識、
凝り固まった常識や刷り込まれた倫理による
歪んだモノサシだ。

可能性で満ちた他者を自分の歪んだモノサシで
測ってはいけない、他者を裁く権利など誰にもない
と、少なくとも僕は思っている。

だから、相談を受けるとき、
僕の経験や知識と照らし合わせて
うまくいかないよな、と思うことがあっても

どうしてもやってみたいのなら、
やってみたらいいんじゃないかな


というスタンスを僕はとっている。

黒いカラスしか見たことないからといって、
この世に赤いカラスがいないとは限らないからだ。

他者を信じること、
世界を信頼すること、
僕はここに教育の本質があると
思っている。


島田晋輔

PS)

思い浮かんだので、イェフダ・アミハイの詩を、、、


わたしたちが正しい場所


わたしたちが正しい場所に

花はぜったい咲かない

春になっても。

わたしたちが正しい場所は

踏みかためられてかたい

内庭みたいに。

でも、疑問と愛は

世界を掘り起こす

もぐらのように、鋤のように。

そしてささやき声がきこえる

廃墟となった家がかつてたっていた場所に。


自分が正しいと思った瞬間に
相手の声が聞こえなくなる。

子どもであっても、
親や家族や友人であっても、
社員やスタッフやお客さんであっても。

でも、そこには花は咲かない。

花が咲く邪魔をしないことが
教育だと思うな。

PPS)

今日の一曲はこちら、、、




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  • disqus_SJ4DN3LWX9

    あらためて読み返しました。こちらの記事も、定期的に意識し、自身に問い、深めていくべき内容ですね。

    それにしても、「可能性で満ちた他者を自分の歪んだモノサシで測ってはいけない、他者を裁く権利など誰にもないと、少なくとも僕は思っている。」こういった考えを地で行かれていると感じさせられるのが島田さんですよね。

    言葉だけで言っている人はいても「感じさせる」人はそういません。これは想いやりと強さの両方がないと体現できないですよね。島田さんの魅力であり、強みの一つだと思います。

    とりとめのない、深夜の雑感でしたー。

    • コメントありがとうございますー!

      自分も志なかば、、、そうなんですよね。

      「強さ」をもってないとついつい捌いてしまうんです。その方がラクですからね。

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