Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

家庭環境と親の影響

昨日の記事の続き。

博愛主義っていうのかわからないけど、
基本的には何でもOKっていうスタンスなのは
確かにそうだよなって奥さんとも話しになって、
なぜ、そういう風になったのか、
というところに話がいった。

ふたりで話していたのは、
小さなころの家庭環境、
親の影響があるのではないかと。

奥さんの家庭は厳しくて、
しつけの一環として
食事中にグーで殴られたりとか、
(子どもにとって)理不尽なことで
怒られたりとかもあったらしい。

大学や社会人としての
将来の進路にもわりと細かく
口を出されて好きなように
させてもらえなかった、と。

記憶というのは曖昧で、
けっこうな部分が都合よく
捏造されてるっていう話だから、
実際のところはわからないけど、
とりあえず本人としては
そう覚えてるとのことだった。

一方、僕は真逆な感じで、
高校生のときでも、
好き勝手やらせてもらっていたし、
進路に関しても
わりと自由にさせてもらっていた。
(そもそもあんまり相談せずに
 自分でどんどん決めていってた)

中学生や小学生、
もっと小さなころでも、
基本的には何でもOKという感じで
接せられたように覚えている。

欲しいと思った
おもちゃや本などは全て買い与えられ、
食べたいものも食べさせて
もらえるような家庭だった。

よくある「勉強しなさい」っていうのも
なかったし、塾にも通ったことない。

習い事もさせられた記憶がない。
(奥さんはいろんな習い事をさせられていたらしい)

だからなのか、勉強やスポーツが
得意というわけではないが、
嫌いではなかった。

むしろ好きな方だった。

食べ物も小さなころから好き嫌いなく、
いまでもわりと何でも食べられる。

このように、小さなころから
強制させられたり、否定させられた経験がないので、
食べ物や勉強、人に関しても好き嫌いがあまりなかった。

むしろ自分の興味の赴くままに
生きてきた感じはあって、
いまはその延長線上にあると思っている。

では、まったく何も苦労も努力もせずに
生きてきたかというとそうではなく、
他人に今までのことを話したらそれはそれは
と思うこともそれなりに経験している。

でも、そこもよく言われるのは、
なかなか壮絶な経験をしていたとしても、
それを苦労や辛いこととして
捉えていないようにみえるということ。

これは僕自身では無自覚なので、
よくわからないが、周りからはそうみえるらしい。
(今のビジネス活動においても言われたりもする)

家庭環境や親の影響が全てとは言わないけど、
自分の人間形成や価値観の基盤には
なっているようにも思う。

そして、この話し合いでも着地したことなのだけど、
自分が経験したからといって、同じように
子どもたちや他人に接するのはまた違うよねってこと。

客観的に自分たちの生い立ちや価値観の形成を
捉えることは大切だけど、これからの時代の流れや
変化を踏まえていかなくてはいけないし、
なにより目の前の人の「現実」を大切にして
接していかないといけないから。

カウンセリングとか
なんとか療法という過去に原因を探るのが
どうにも馴染めないのは、目の前のひとを
見ていないからだと思う。

いろいろあったのかもしれないけど、
記憶っていうのは曖昧なものだし、
過去は過ぎ去ったものだし、
大切なのは目の前にいる人の「今」なのかな、と。

これは本当、常々よく思うね。

では、今日はこのへんで。

また明日。


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、

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