Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

そんなこと、気にするな

あなたが弱い者を相手にしたとき、その力を弱い人に分け与える人になって欲しい。昔の映画の主人公のように、強気をくじかなくてもいい。せめて、弱者の気持ちを理解し、力のない者、つまり、弱きを助ける側の人間になって欲しいのだ。

桜井章一


今、新幹線で東京に向かっています。

新幹線での移動中は、こうしてmacのキーボードを叩いているか、
iPhoneでブログやメルマガ、チャットワークをチェックしているか、
城ドラの活動に励んでいるか、もしくは読書しているか、です。

今日の移動のお供は桜井章一さんの著書「そんなこと、気にするな」。

副題は、

20年間無敗・伝説の雀鬼の「惑わされない生き方」。

僕は麻雀をやらないのですが、
渡辺さんの影響で桜井章一さんは好きで、
著書をたくさん持っています(ほとんどはもともと渡辺さんのだけど)。

これはサラリーマンかな、
働いているひとに向けたような書き方で、
説教ではないですが、
もっとかっこよく生きましょうよ、
みたいなメッセージ。

桜井章一さんらしい。

昔は日本人としての強さとか誇りとかもってるひとが多かったけど、
今は少なくなってきている、、、その要因として、
損得で考えて生きているから、
他人の尺度で行動しているから
みたいなことを言っています。

だから、「金にならないことにエネルギー」を注げ、
あえて「儲からないこと」に目を向ける、
悩んでも解決しなくてもいい、
壁にぶつかっても、乗り越えなくていい、
自分の将来に期待をしてはいけない、
生きるとは攻撃すること、
みたいなことをこの本で教えてくれている。

ちょうど昨日、森のようちえんの保護者面談があって
いろいろお話ししたのだけど、その話に通づることだな
と思うこともあって。

それは、子どもがカッとなって
大げんかになってしまう、
ヒステリーを起こしてしまう、
そんなときに、そうなる前に抑えた方がいいのでは、
という意見もあるけども、そうは思わないんですよね、
という話。

なにか気に入らないことがあったり、
うまくコミュニケーションが取れなかったり、
困難やトラブルがあったときに、
どう対処するか、問題解決するか、
それはそれで子どもにとって大切なことだと思うんですよね、
という話が出ました。

ああ、これは僕もよくわかる考えだし、
今回の桜井章一さんのメッセージにもつながるなあ、
と。

トラブルのもとや困難の火消しをしてしまうと
いざ火事になったときの対応ができない
いわゆる温室育ちになってしまうから。

少しくらいうまくいかないことにあたって、
どう解決していくかというのを
子どもたち自身で考えていくのは
素敵なことだな、と僕は思います。

困難は友達です
と桜井章一さんは言っていたと思うけど、

積極的に「苦しいほう」を選択しよう

と桜井さんは言います。

得たものは必ず失うことになるのだから、
苦しいほうを積極的に選べば、
また神様が報酬をくれる
と桜井さんは言います。

とても苦しい困難であっても
積極的に選ぶ。

子どもたちにも推奨したいし、
自分自身もそうありたいですね。

では、今日はこの辺で。

また。


島田晋輔

PS)

今日の一曲はこちら、、、


PPS)

親指シフトトレーニング11日目。

取り扱ってるジョンロックの「知性の導き方」の原文自体は
著作権がきれているので、ここで公開するのは問題ないだろう。

ただ、翻訳や出版に関しては曖昧なので、
しっかりと引用元を明記しておこう。

取り扱うのは、ちくま学芸文庫の下川潔氏の訳のもの。

では、さっそく15分のトレーニング開始。


知性の正しい導き方

ジョンロック著
下川潔訳

間違った意見を保持したり、十分な探求なしに知覚され認識された事柄を少しも疑わずに擁護することほど、軽率で賢人の威厳と堅実さにふさわしくないことがあるだろうか。(キケロ「神々の本性について」第一卷)

第一節 はじめに

 人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性です。なるほど私たちは心の諸能力を区別し、あたかも意志が行為の主体であるかのように考えて、最高の指揮権を意志に与えます。しかし実際には、行為主体である人間が、すでに知性のなかに持っている何らかの知識や知識らしきものに基づいて、自分自信を決定し、あれこれの随意的行為を行うのです。誰でも、何らかの行為を始める場合には、自分にとって行為の理由となるような何らかの見解うを必ず持っています。人がどのような能力を用いる場合でも、本人を絶えず導いてゆくのは、とはもかくこの光が、本人のあらゆる活動力を導きます。意志それ自体は、たとえどんなに絶対的で統制不可能のように見えても、知性の命令には必ず服従します。神殿にはそれ特有の神聖な像があり、これが人類の大部分にどれほどの影響力を常に行使してきたかは、私たちの知るところです。しかし、実際には人々の心にある観念や像は、目にみえない力として絶えず心を支配し、いたるところで心をすぐ降伏させてしまいます。したがって、知性の扱いに十分配慮し、知識の追求や判断の形成にあたって知性を正しく導いてゆけるようにしておくことが、最大の関心事になります。
 現在使われている論理学は、諸学芸の研究において心を導く技術として学問の世界で教えられている唯一のものであり、大変長い間そのような地位を占めていました。論理学の規則は、二、三千年ものあいだ学者の世界に奉仕し、学者が欠陥があると不平を言っていたこともないものです。したがって、その規則によって知性を導くのでは十分でない、と疑念を表明すれば、おそらく新奇さをてらっていると思われるでしょう。そういう試みは、かの偉大なヴェルラム卿の権威によって正当化されでもしなければ、虚栄心や思い上がりであるとして避難されるに違いありません。卿は、学問は何世紀も進歩しなかったのだから、過去の



今日のトレーニングはここまで!

この公開トレーニングは、これによって何か特別な利益をえようとしたり、
利用したりといったものではなく、自分のコミットメントの純粋な記録として。

すべてのブログ記事に言えることだが、
誰かを不快にさせようとか、
悪意があるものはひとつもないので、
ここに強調して明記しておく。

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