Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

すっぱいぶどうと甘いレモン

お腹を空かせたきつねが歩いていると、おいしそうなぶどうが枝から垂れているところに通りかかりました。

きつねはどうにかしてぶどうを取ろうと、爪先立ちしたり、飛び跳ねてみたものの、どうしても取ることができません。

しばらくして、じーっとぶどうを眺めていたきつねが言いました。

「ふん、あんなぶどうおいしくないや。まだ、すっぱくて、食べられやしない」

ぶどうを睨みつけると、そのままどこかへ行ってしまいました。

『イソップ童話』より

なぜ、僕たち人間は生きなくてはいけないのか?

みたいな話題になることがある。

生きていると、辛いことや苦しいことが多くて
いっそこのこと、死んだ方がラクなんじゃないかっていう人もいる。

「生きる」ためには、食事もしなくてはいけないし、
トレイにも行かなくてはいけないし、
呼吸もし続けないといけない。

やることばかりで大変だと。

仕事や子育て恋愛でも同じように言う場合がある。

やることが多くて大変、、、つらいばっかりで
何も得るものもない、、今やっているこのことは
意味があるのだろうか、、なんて。

どんなにお金を稼いでも
その分、たくさんの税金がかかってきたりして、
その税金の支払いのために、
さらにもっと働かなくてはならなかったりする。

いったい何のために働いているのだろう、、
なんていう話もよくでたりする。

先日の智頭町の柱祭りの音楽イベントも同様で、
準備ややることはものすごく多く、たいへんだった。

お金も時間も労力もかかるし、
やればやるほどマイナスになっていく、、、

ここまで大変なおもいをして
やる必要があるのか?
なんていう声もある。

人生というのはうまくいかないことが当たり前で、
あの葡萄はすっぱいに違いないと思って
自分の心を保ったり、自分が持っているのだから
このレモンは甘いに違いない、
と思い込んで、ギャップを埋めようとする。

いま取り組んでいることは
意味があるのかどうかなんて悩み出して
燃え尽きてしまう場合も多い。

岡山の工場でせっせとジーパンを縫い続けた
國吉さんも同じことを言っていた。

日陰でジーパンをたんたんと縫う毎日。

10年間、國吉さんはやり続けたらしいけど、
縫っている意味なんて考え出して、
燃え尽きてやめてしまった人もたくさんいるという。

決して日の目をみないその作業を
10年間をやり続けた國吉さんは
その先に大きな夢や目標があったわけではない。

現状、満足する給料をもらっていたわけではない。
(お金だけでいったら東京でバイトしていたときの方がよかった、と話してくれた)

多くの人がやっていることの意味や目的に悩み
やめていくなか、なぜ、國吉さんは
やり続けられたのだろうか。

インタビューでも公開している通り、
10年間、下積みをつんで、
沖縄で独立し、いまに至る。

かつて、ブーバーが少年だったとき、
馬から馬を愛でている手に興味が移ったとき、
馬と会話できなくなったという。

目の前のひと、その人自身に興味をもっているのか、
それとも、そのひとの部分に興味があるのか、
このあたりが分かれ目だね。

ただ、手に入らない葡萄をすっぱいと思い込んだり、
手にしているレモンを甘いと思い込んでいるのは、
紛れもなく自分自身。

どのように世界をみているのか、
もう一度、考え直していきたいね。

また明日。

島田晋輔

PS)

今日はイタルの3歳のバースデーってことで、
こんな動画を、、、



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コメント

    • Slow Man
    • 2016年 4月 22日

    至君、誕生日おめでとうございます。

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