Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

「これでいいのだ。」

小野さん主催の智頭合宿。

昨日に続いて合宿参加者からの
感想をシェアします。

今日はわらしべタクシードライバーの
デニーロさんから、、、


島田さんへのラブレターと感謝状。

島田さんのブログ読者になり約一年半が経ちます。
小野さんを知ったのと同時期です。
島田さんの伝える世界観や主張にたいして同意する部分が沢山あり、
はやくリアルにお会いしてお話しを聴いたりや質問がしたいと思っていたことが実現して幸せな3日間+延泊1日の旅でした。

那岐小学校の廃校オフィスに到着して感じたこと、
小学校のころ大阪で一時期通っていた小学校が木造の2階建ての校舎で子供の頃の記憶がフラッシュバックしました。
そして、ぼく達を静かな佇まいで歓迎してくれた島田さん。
第一印象は無色透明。

教室の床は新しい智頭杉に張り替えられ、木の暖かさを感じる。
やや緊張気味のぼく達は軽く自己紹介を交えました、
島田さんは場の雰囲気をなごませるためにタルマーリーのランチ会へ導いてくれる。

イタルさんのパンには自然の恵みの暖か味がしました。
バンズや具の野菜とチーズに味付けのソースが見事にマッチしていて、
菌や素材の主張するものをうまい具合にまとめてあります。
一言で表現すると生き物を食らうって感覚でした。

そして、地ビールは炭酸が繊細で地ビール特有の物足りなさもなく酒飲みを満足させてくれました。
5種類の内2つだけ味わいました。
次回智頭に訪れた際は朝からビールを全部のみして眠くなったら昼寝をしてみたいと思います。
(延泊時に食べたイノシシバーガーも旨い、タルマーリーには毎日通いたくなりました。)

昼食も終わりディスカッションに再開すると思いきや、
島田さんの初めの言葉が、
「ゆるく、たのしく、テキトーに。」
この合宿のコンセプトをさらっと提案してくれました。
今思えば、このゆるい感覚でさえ完璧にデザインされていたように感じます。
居心地の良いおもてなしの心を押し付けがましくなく自然に表現されていました。
そして、ぼくたちを歓迎してくれたのに感銘を受けました。

島田さんは人をガチッと枠にはめ込むのではなく、
ゆるく柔軟にして本音を引き出すのが非常に上手な方だなと感じました。
そしていたずら好き。
人を動かすとか、リーダーというのはこういう在り方も出来るんだなと感心しました。

あと、赤塚不二夫さんのエピソード、
内容は原稿を失くした担当編集者を叱り飛ばさず1日で締め切りを間に合わせたって内容でしたっけ、、、

「これでいいのだ。」
深い言葉です。
人生何が起きても全部肯定。
人生に意味はない楽しめってことかな。
スティーブ・ジョブズの名言、
「stay hungry ,stay foolish」にも通じるな、バカボンのパパになろうと思います。




夜は出張料理人の幸田さんの料理を食らう。

見た目と逆を行く野性的な、まさにワイルドサイドな料理を作ってくれました。

一番印象的だったのがイノシシの肉を包丁で削ぎ落とす瞬間の幸田さんの目は完全にイッテいました。
例えるなら肉を解体する変態料理人になった瞬間を目撃してぼくは恐ろしくなりました。
命を食らうとはこうゆうことだ。
命は感謝していただこうと身が引き締まる思いでした。

智頭の野菜がうまくて、野菜にもワイルドサイドを感じました。
普段ぼくたちは便利や効率を追求するあまり、
というか便利や効率に動かされて生きている、そのことに気付かされました。
既成品の食品を食べて既成品の服を着て、既成品の学校にこども達を通わせる。
こんな生き方では人間も既成品になるのは当たり前だと感じました。

幸田さんは自分で家を建てて、子どもの教育は自宅。

今後はもっともっと既成品の世界から脱出してぼくも家族もワイルドサイドを歩こうと決めました。


幸田さんの作る闇*も大変美味しく(ここはオフレコ)、
小野さんがサン***を飲んでつぎの日の朝起きれないのに大爆笑でした。
完璧を求める小野さんが島田さんと密にお付き合いするようになり変化していくのをぼくは間近に見れて面白かったです。
だって、朝五時に起きてランニングするぞと宣言しておきながら爆睡状態で七時になっても眠っているんですよ。
「有言実行」、ストイックな小野さんのイメージが崩壊して、駄目駄目の一面を見せてくれたのが面白かったです。
結局ぼくたちは合宿主催者を放ったらかしにして、ファミマで朝食を楽しみました。
小野さんを完璧主義から開放するには酒が一番効くのかもしれません。


2日目の昼食はみたき園、
京都の庭園は自然を完璧に人間の手で作り変えた美しさがありますが、
こちらの庭園は自然をあるがままの状態で、すこしだけ人間の手を加えた感触がありました。
奈良の自然の美しさに近い原風景といいますか、絶妙なパランス感覚のみたき園でした。
古民家の移築、自然の恵みと旬の食べ物、四季折々の表情を魅せてくれる庭園。
足を踏み入れた瞬間からごちそうが始まるとはうまい表現ですね。

昼食を頂きながらで一つだけ残念だったのは酒が飲めなかったこと、このお料理には日本酒がマッチするだろうなと。
次回行くときはたらふく酒を飲もうと思いました。

食後の女将さんが古民家の囲炉裏の前で円座を組み、
もみじ饅頭だったかなとにかくお茶を接待してくれました。

・智頭町のスローガン、
「おせっかい宣言」
人と人の交わりが薄っぺらいものになっていく時代にこそ人に関わるという姿勢や態度。
ホスピタリティっていうのかな、ぼく自身タクシー営業中に実践していることです。
そこまでしてくれなくてもいいよってくらい、人に絡んでいく。
今の時代だからこそ面倒くさい関わり方が素晴らしい。

・みたき園創業者の想い。
多くの人に初めは理解されなくてもやっていることが素晴らしいことなら、
時間はかかっても自分のやり方や表現方法を貫きとうすべきだ!
というメッセージに聞こえました。

・日本の核家族化、独り者の増殖に危惧を投げかける。
家族のあり方を考えさせられました、女将さんは家長制度の復権を訴えていたのかも。
ココらへんはまず自分の家族の在り方を見なおそうと感じました。





昼食後は植林イベントに参加。
土師の山に桜を植えよう、千年生きるというエドヒガンを植える。
智頭にまた訪れた時に観に来る楽しみが増えました。
桜が咲く頃にお花見で旨い酒を飲みたいな〜。
島田さん家族や住民のみなさんの想いに触れられたいい思い出です。


夜は西粟倉の元湯に移動。
相変わらずゆるいペースで合宿が進行していく、
おそらく参加者のみんなは一抹の不安を持ちながら楽しんでいたのではないかと思われます、
その不安とは、いつディスカッションが始まるのかと。

コミュニティ運営で大切なのはそれに参加する人が自発的にイベントを盛り上げていく必要があるなと感じました。
ぼくなりにみんなを楽しませようとしていましたが、潤滑油になったかな。
人それぞれの役割があると思います。

力む必要はないけれど、せっかく時間を共有するなら自発的にオモシロおかしくすることで、
自分の個性を発見できるのではないかと。
あるがままのコミュニケーション、
島田さんのディスコミュニケーションという視点が秀逸でした。
わからない物同士でも居心地がいいコミュニティって素晴らしいかも。
みんな同じ種類の人間が集まっても全く面白く無い。
いつでも出入り自由のコミュニティていう発想が面白そうです。


今後のディスカッションのテーマにしても良さそうだと気付きました。


風呂あがりにビールを飲んでおっさん連中が話している所に、
となりでテレビを観る元湯さんのお子さんでしょうか、
「うるさい、テレビの音が聴こえない。」
と叱られました。
かわいいなー、ぼくたちお客さんだぞ、
こどもにしてみれば、
「そんなのかんけーねー。」
って感じですね、可愛かったです。


3日目の朝もなんとなく過ごしていたんですが、
10時に島田さんが来られてやっとディスカッションらしきものが始まりました。

なんにも考えていませんでしたが、この3日間の体験を通じて感じたことが自然と出てきました。
ぼくの前にミズホッチが告白タイムみたいな流れになってしまい、これはやべーッて感じです。
心が開いた瞬間でした、
島田さんがまたセラピストみたいな対応をされるので、おじさんのぼくもうるうる涙腺がゆるくなり涙が出てきました。
ぼくは常々オープンハートを心がけていますが、
その更に奥の深い感情が浮き彫りになり、心がブルブル震えてしまいました。

ミズホっちが亡くなった父親に対する感謝を表現したので、お金を残したからこの合宿に参加できたという言葉にやられました。
その姿が自分の死後こども達や妻がどんな言葉を出すんだろうと想像すると、
もういてもたってもいられなくなりました。
ぼくは自分の好きなことを追求するあまり、特に妻に迷惑をかけていると罪悪感を持っています。
自分の幸せを追求するあまり妻に対して家計にしろ、子育てにしろ家事にしろ負担をかけていると常々感じています。
経済的な資産や時間を妻に十分に与えられていない罪悪感です。
しかし、自分を幸せにできなければ他者を幸せにすることなんてできないと信じています。
それがビジネスで言うところの価値を提供することができなければ豊かになれない原因だと感じています。

自分の中に存在する葛藤が浮き彫りにされたんです。
経済的な資産を妻やこどもたちに与えられているのか?、
ぼくが死んだあとぼくのせいで自分の人生を奪われたと言われないかという不安が出てきました。

すこし落ち着くと、その不安は今自分を生かしてくれている妻やこども達そして自分以外の他者に対する感謝に変化してきました。

「みんなありがとう」と素直で穏やかな気分になりました。
そして、前に進む勇気が出てきました。
ロクデナシなぼくだけど自分を100%生きて、関係する人々に恩返ししようと自分を肯定できました。

最後に「火間土」さんのお食事でごはんを3杯食べた後、
歩とりさんでのおかわりランチ玄米飯を完食。
ビビったらゴーの精神を鍛えられました。


まとめ
この合宿では何もしていないようで実は素晴らしい体験の連続でした。
7年以内には毎日が時間と場所とお金の自由人になるため、
日々ワイルドサイドを歩いて行こうと思います。

あっ、あとクルマの中で島田さんに絡める時間とお金を生み出すための思考法の実験をしていただいた事に感謝です。
結果、延泊できましたからね。
島田さんのビジネスの凄みを感じた一面でした。
お金が無いところからどうやって生み出していくか?
これが今現時点での最優先課題です。
日々精進しますね。

島田さんの細やかな配慮とそれを感じさせない自然な佇まいを見習います。



P.S
島田さんがブログにブルーハーツのロクデナシをアップしてくれたことが、
ぼくに勇気と誇りを与えてくれました。
本当にありがとうございます。

だって大ファンの島田さんのブログに登場できたんですよ!

今後は「わらしべ・デニーロ・RYO」に改名して自分のブログを更新していきます。

生きているって素晴らしいです、
そんな3日間の合宿+1日延泊のでした。

島田さん、小野さん、参加者の皆さん、秘密結社の皆さん、智頭の人々そして家族のみんな、
ありがとうございます〜。


2016.10.18

わらしべ・デニーロ・RYOより愛をこめて。


デニーロさん、ありがとうございます。

デニーロさんはこんな感じ
ブログにもアップしてくれています。

ではでは、今日はこのへんで!


島田晋輔

PS)

邦楽ではブルーハーツが好きだと言ってましたけど、
洋楽ではプリンスなんだとか、、、

というわけで、どうぞ、、、


プリウスには乗るな!って言ってましたけどね(笑)

PPS)

親指シフトトレーニング19日目。

取り扱ってるジョンロックの「知性の導き方」の原文自体は
著作権がきれているので、ここで公開するのは問題ないだろう。

ただ、翻訳や出版に関しては曖昧なので、
しっかりと引用元を明記しておこう。

取り扱うのは、ちくま学芸文庫の下川潔氏の訳のもの。

では、さっそく15分のトレーニング開始。

知性の正しい導き方

ジョンロック著
下川潔訳

間違った意見を保持したり、十分な探求なしに知覚され認識された事柄を少しも疑わずに擁護することほど、軽率で賢人の威厳と堅実さにふさわしくないことがあるだろうか。(キケロ「神々の本性について」第一卷)


第一節 はじめに

 人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性です。なるほど私たちは心の諸能力を区別し、あたかも意志が行為の主体であるかのように考えて、最高の指揮権を意志に与えます。しかし実際には、行為主体である人間が、すでに知性のなかに持っている何らかの知識や知識らしきものに基づいて、自分自信を決定し、あれこれの随意的行為を行うのです。誰でも、何らかの行為を始める場合には、自分にとって行為の理由となるような何らかの見解うを必ず持っています。人がどのような能力を用いる場合でも、本人を絶えず導いてゆくのは、とはもかくこの光が、本人のあらゆる活動力を導きます。意志それ自体は、たとえどんなに絶対的で統制不可能のように見えても、知性の命令には必ず服従します。神殿にはそれ特有の神聖な像があり、これが人類の大部分にどれほどの影響力を常に行使してきたかは、私たちの知るところです。しかし、実際には人々の心にある観念や像は、目にみえない力として絶えず心を支配し、いたるところで心をすぐ降伏させてしまいます。したがって、知性の扱いに十分配慮し、知識の追求や判断の形成にあたって知性を正しく導いてゆけるようにしておくことが、最大の関心事になります。
 現在使われている論理学は、諸学芸の研究において心を導く技術として学問の世界で教えられている唯一のものであり、大変長い間そのような地位を占めていました。論理学の規則は、二、三千年ものあいだ学者の世界に奉仕し、学者が欠陥があると不平を言っていたこともないものです。したがって、その規則によって知性を導くのでは十分でない、と疑念を表明すれば、おそらく新奇さをてらっていると思われるでしょう。そういう試みは、かの偉大なヴェルラム卿の権威によって正当化されでもしなければ、虚栄心や思い上がりであるとして避難されるに違いありません。卿は、学問は何世紀も進歩しなかったのだから、過去の過去のあり方を超えてもうこれ以上前進することありえない、という奴隷的な考え方をしませんでした。過去の学問のあり方を、過去においてそうであったという理由で怠惰に是認したり賞讃して満足することもありませんでした。そうではなく、ヴェルラム卿は心を広げて学問のありうべき姿を考えました。論理学に関する著『ノヴム・オルガヌム』の序文で、卿は次のようにはっきり述べています。「論理学にこれほど大きな役割を認めた人々は、知性を規則によって保護せずに、それを働くままにわ放置しておくのが安全でないことを、確かに見事に正しく見抜いていた。しかしながら、この治療法は病を根治することなく、むしろそれが病の一部分になってしまったのである。というのも、用いられたその論理学は、市民生活に
関する事柄や、言論や意見に依存する技術においては十分役立つこともあるかもしれないが、自然の実際の働きの微細さには到底及ばないものだったからである。しかも、手が届かないところにあるものをつかまえようとしたために、それは真理への道を開くことなく、逆に誤謬の追認と固定化を助長してしまったのである」。こう述べた少し後で、卿はその結論を次のように述べています。「心と知性を使用するための、より優れたより完璧な方法を導入することが、ぜひとも必要である」。


第二節 才能

 人々の知性には、明らかに大きな違いがあります。なかには、生来の体のつくりが技術や勤勉では克服できないほどの大きな差を知性に生み出し、他の人たちが容易にできることを達成するだけの基礎を自分の生来の資質の中にもっていないように思われる人たちもいます。平等な教育を受けた人々の間に、才能の大きな不平等があります。また、アテナイの学校だけでなくアメリカの森が、同じ種類の人間の中に異なった能力をもった人々を生み出しています。しかし、たとえ実際にその通りであるとしても、私が想像するに、大部分の人たちは、自分の知性をおざなりにしているために、それぞれ自分なりに到達しうる地点のはるか手前までしか到達していません。この件については、わずかの論理学の規則があれば、最高の改善を目指す人たちにとってそれで十分である、と考えられています。しかし私は、知性には、矯正できるような多くの自然的な欠陥があり、それらが見過ごされ、全くなおざりにされているのだと思います。しかも、容易に看てとれることですが、人々はこの能力を使用し改善するにあたって多くの過ちを犯し、そのために自分の発展を阻害し、無知と誤謬のなかで一生を過ごしています。以下の論述で、私はそれらの過ちのいくつかに注意を向け、適切な治療法を示すつもりです。


第三節 推論

 人々は、確定された観念をもたなかったり、媒介項となる観念を探し出して整然と並べるだけの鋭敏さをもっていなかったり、その訓練を受けていないことがあります。しかし、そのほかに自分の理性に関して、三つの過ちを犯してしまいます。これによって理性という能力は、その役目や目的を果たすことができなくなります。




今日のトレーニングはここまで!

この公開トレーニングは、これによって何か特別な利益をえようとしたり、
利用したりといったものではなく、自分のコミットメントの純粋な記録として。

すべてのブログ記事に言えることだが、
誰かを不快にさせようとか、
悪意があるものはひとつもないので、
ここに強調して明記しておく。

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