Walk on the Wild Side

もしも、僕が僕をプロデュースするなら、、、

今日の記事は昨日の記事の続き。

だから、昨日の記事を読んでから
読み進めてほしい。

ワイルドサイドを歩こうよ

というミクロな視点からのコンセプトに対して

L2G

というマクロな視点からのコンセプトを
提示した。

どちらも言い方や視点が違うだけで
言ってることや目指そうとしてるゴールは
いっしょで、そこまで新しいものでもない。

僕を昔から知ってる人は、
昔から同じことを言っていると思うだろう。

こういった考え、方向性に固まってきたのは、
毎年、年末年始に行うブレインダンプからの
コアバリューの発見、マスタープランの作成
大きいと思う。

毎年、半年後、1年後、3年後、5年後くらいを
書き出して、家族で発表しあっている。

いま、過去のプランを見直してみると、
ディテールの違いはあれど、
進んでいる方向性や実現している未来などが
一致していて不思議なものである。

このコアバリューやマスタープランは
もちろん毎年アップデートしていて、
ゴールは、個人の幸福の追求には至らない。

こう書くと、それは決まって
経済的な時間的な余裕があるからだ
という意見をもらうのだけど、
真実は逆で、、、

個人の幸福の追求をやめたとき、
経済的な時間的な余裕が生まれたのだ。


これは、先日のトルストイの人生論にも
通ずると思っていて、他者の存在に
自分の生を認めたときに死の恐怖がなくなる
のと
いっしょだと思う。

ただ、、、

こんなことを言っても自分にはできない
という意見ももらうので、
ちょっとおもしろい方法論をお伝えしよう。

それは、タイトルにもあるように、

もしも、僕が僕をプロデュースするなら、、、

である。

多くの悩める人たちの特徴として、
自分に近すぎるというのがある。

そこを一歩引いて、

自分という素材を使うなら、
どう料理するか?

という問いに変えてみるのだ。

俯瞰して自分をみてみる

ということだけど、

もし、自分がコイツをプロデュースして
素材として活かすとしたら
どんな使い方をするだろう、、、

自分が監督ならどんな配置でどんな演出で
どんな役割を求めるだろう、、、


と、この作者の視点を入れると
また違ってみえてくるはずだ。

主人公の視点と作者の視点を同時に持つ
ということは以前、こちらの記事でも書いたけど、
それでも、多くの人と話していて感じるのは、
自分にべったりすぎるということ。

作者の視点を強く意識してみると、
また未来が変わってくると思う。

僕はどんなひとでも光り輝く場所があると思っていて、
現状、くすんでいるのは自分の輝かせ方を忘れている、
もしくは間違えているからだと思っている。

胡散臭くいうと、

汝、目覚めよ!

みたいになるのかもしれないけど、
自分の内なる声に耳を傾けるために
一歩ひいてみるといいと思う。

これは、先日のワイルドサイド部の集まりで
末広さんが林崎さんにアドバイスしていた
方法の1つといっしょで、
自分を一段高いレイヤーから眺めてみる
ということだ。

もちろん、僕も

もしも、僕が僕をプロデュースするなら、、、

という視点でコアバリューやマスタープランを
合わせて進むべき方向性を定めている。

やってることは、
まさに主人公と作者の視点の融合

というわけで、現在どんなことを手がけ、
どんな理想世界に向かっているのか、
という話をしようと思ったけども、、、

今回も長くなってしまったので、
また続きは明日で。


島田晋輔

PS)

今日こそは、galaxy 2 galaxyを
せっかくなのでライブ映像で。



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  • Slow Man

    島田さん、そういうことだったんですね。このお話全てに「あっそうか!」
    と気づけたわけではないですが、
    「なるほど!」というところがありました。この視点を意識してみます。
    有難うございます。

    • Slow Manさん

      コメントありがとうございます。

      そうですね。

      主人公と作者の視点の両方から自分をみて
      合わせてみると深みがでてくると思いますよ!

      ぜひお試しあれー。

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