Walk on the Wild Side〜ワイルドサイドを歩こうよ〜

人が自己の動物的な個我のうちにだけではなく、
他の存在の幸福のうちに自分の生命を認めさえすれば、
死の恐怖も永久に視界から消え去ってくれる。

トルストイ/人生論

このブログでは、
ワイルドサイドな生き方、
つまりライフスタイルが
メインテーマだけども、

「生き方」

ではなく、

「生きる」

というのも大きなテーマのひとつである。

生き方と生きるは僕の中では
線引きがしてあって、
人間本来の生やあり方を
問うのが僕の中では

「生きる」

というカテゴリに入る。

死生観在り方と言い換えてもいい。

生や死に関しては、
僕もあなたも避けられない
絶対的なことであるから、
あなたもちょっとは、
生死について、
考えたことがあるだろう。

多くの人が持つ死の恐怖。

終末。

この絶対的恐怖があるから、
怪我や病気、仕事の失敗や
人間関係で悩む。

僕ら現代日本人にとって
死は非日常であり、
未知のことであるから、
負のイメージ、ネガティブな印象を
持たれていることが多い。

終わりに恐怖する。

死は良いことという
死生観がある地域や文化もあるが、
僕らには馴染みのない感覚だ。

生きるとはいったい
何なのだろうか?

死とはいったい
どういうことなのだろうか?

伝統的な問いであって、
簡単なものではない。

人生の大半を捧げて
この問いに取り組んできた
偉大な先人たちもいる。

だから、僕がここで安易に、

「生きるとはこういうものです。」

「死とはこうなんですよ。」

と断言することはできない。
(し、すべきではないと思う)

ただ、自分なりの葛藤や苦悩を
踏まえて自分の中での死生観という
ものが培われつつあるので、
そのことをちょっとずつでも
書いていこうと思う。

身近なところの死というと、
親族だろうか。

僕の親族で言うと父母は健在で、
亡くなっているのは、
おじいちゃんくらい。

おじいちゃんと言えば、
以前、特養にも勤めていたので、
施設利用者さんである
おじいさん、おばあさんの死というのも
僕の死生観に大きな影響を与えた。

もちろん、
友人の死も大きい。

告白すると、
僕は近しい友人を3人、
亡くしている。

ここのブログでも何度も
書いてきたがビジネスパートナーであった
渡辺さんの死。

癌で亡くなった渡辺さん
33歳だった。

もうひとりは、高校のときに出会った
親友の自殺

僕が結婚したとき、
27歳のときの別れだった。

そして、もうひとりが
20歳のとき、、、

幼馴染みを交通事故で
亡くしている。

幼馴染みが亡くなる1週間前、
僕は帰省していて、
偶然にも家の近くですれ違って、
そのあと電話で話したのが
彼と言葉を交わした最期だった。

身近なひとの死を通じて、
自分の中の死生観というものが
形成されていったは、確かである。

生きるとはいったい
どういうことだろう?

死とはいったい
何なのだろうか、、、

僕にはまだわからないが、
現時点では、僕のなかでは、
死というものに対して
そこまで悪いイメージはない。

今年のリーディングマスタークラスの
課題図書であるトルストイの人生論。

「人生論」だが、
人生について話しているというよりも、
生命や命について語っている。

この中で、トルストイは、

生存生命というのを
はっきり区別している。

生存というのは、
僕らが一般的に考える
生きる・死ぬということ。

生まれてから死ぬまで。

動物としての生死だ。

一方で、生命、、、

人間として生きるというのは、
生存とは別だとしている。

人間としての生は、

時空間を超えたものである

と定義しているように、
生まれてから死ぬまでは
動物としての生であって、

人間本来の生は別なものである

としている。

この感覚は僕の中では
すごく腑に落ちていて、
例えば、生き物として実際に
「生きている」としても
「死んでいる」ような生き方を
している人もいる。

自分の意思とは無関係なことを
しなければならなくて、
死にたくても死ねないひともいる。

一方で、、、

僕らは、清志郎の歌声や
ダヴィンチの作品に未だに
感動したりもする。

肉体的に滅んでも、
この場にいなくても、
清志郎やダヴィンチは、
僕らの中で生き続けているのだ。

そして、これがトルストイのいう
人間本来の生である。

時間も空間も超えて
生きるということ。

死の恐怖からの解放。

死に対する恐怖は
動物的な生死から離れて、
他人の幸福のなかに
自分の生命を認めさえすれば
解放されるとトルストイは言う。

あなたはどう思うだろうか?

島田晋輔

PS)

今日は清志郎やダヴィンチの命日。

ということでこの一曲を、、、

ジョンレノンの生から忌野清志郎の生。



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コメント

    • やまもと
    • 2015年 5月 02日

    島田様の記事で ステージとは何か 
    見えました。

    死んでも、残される人がいる
    そして、残される人へ何を残すか
    どんな影響力をあたえることができるか。

    そういう視点で生きればステージが上がる
    ような気付きがありました。

    キリスト 吉田松陰  か。

    「人はいつ死ぬかわからない」

    • やまもとさま

      そうですね。

      生き物として死んでも、
      人間として生き続けることはできる。

      そんな死生観のもと、
      このブログをスタートさせたという
      こともありますので。

      これからも励んでいきましょう。

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